ラプラスの悪魔

ラプラスの悪魔(ラプラスのあくま、: Laplace's demon)とは、主に近世・近代の物理学分野で、因果律に基づいて未来の決定性を論じる時に仮想された超越的存在の概念。「ある時点において作用している全ての力学的・物理的な状態を完全に把握・解析する能力を持つがゆえに、未来を含む宇宙の全運動までも確定的に知りえる[1]」という超人間的知性のこと。フランス数学者ピエール=シモン・ラプラスによって提唱された。ラプラスの魔物あるいはラプラスの魔とも呼ばれる。

概要

学問の発達により、近世・近代には様々な自然現象がニュートン力学古典物理学)で説明できるようになった。現象のメカニズムが知られると同時に、「原因によって結果は一義的[2]に導かれる」という因果律や、「全ての出来事はそれ以前の出来事のみによって決定される」といった決定論の考えを抱く研究者も現れるようになった。その一人が、18世紀の数学者で天文物理学者でもあったピエール=シモン・ラプラスである。彼の持つ世界観は、あらゆる事象が原因と結果の因果律で結ばれるなら、現時点の出来事(原因)に基づいて未来(結果)もまた確定的に決定されるという「因果的決定論」とでも言うべきものである。

主張の内容

ラプラスは自著において以下のような主張をした。

もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)全て見えているであろう。

— 『確率の解析的理論』1812年

つまり、世界に存在する全物質の位置運動量を知ることができるような知性が存在すると仮定すれば、その存在は、古典物理学を用いれば、これらの原子の時間発展を計算することができるだろうから、その先の世界がどのようになるかを完全に知ることができるだろう、と考えた。この架空の超越的な存在の概念を、ラプラス自身はただ「知性」と呼んでいたのだが、後にそれをエミール・デュ・ボア=レーモンが「ラプラスの霊(Laplacescher Geist)」と呼び、その後広く伝わっていく内に「ラプラスの悪魔(Laplacescher Dämon)」という名前が定着することとなった[3]

この概念・パラダイムは、未来は現在の状態によって既に決まっているだろうと想定する「決定論」の概念を論じる時に、ある種のセンセーショナルなイメージとして頻繁に引き合いに出された。

ラプラスの死後、20世紀に入って量子論が台頭してくると、古典物理学では説明できない矛盾した現象が知られるようになり[注 1]、ラプラスの悪魔という概念も既に古いもの、とされることが多くなった。

背景

「全てを知っており、未来も予見している知性」については、遙か昔から人類は意識しており、通常それは「」と呼ばれている。「全知の神」と形容されることもある。そのような存在については、様々な文化において考察されてきた歴史があるが、ヨーロッパの学問の伝統においては、特にキリスト教神学スコラ学が行っていた。デュ・ボワ=レーモンはそのような学問の伝統を意識しつつ、あえて「神」という語を「霊」という言葉に置き換えて表現している。

ラプラスの悪魔に対する反論

無限後退による反論

ラプラスの悪魔を宇宙の一部とし、ある種のコンピューターと考える。未来を予測するには全ての情報をもつコンピューターを必要とし、さらにそのコンピューターの状態を含めて未来を予測するには別のコンピューターを必要とし、さらにそれら全てを予測するには別のコンピューターが必要となり…と無限後退を起こす。

これは簡単な説明としてしばしば用いられる。これをもってラプラスの悪魔を否定されたとされる場合もあるが、厳密なラプラスの悪魔を「予測する世界の一部でない知性」(例えば異なる宇宙から何らかの手段で情報を入手し、それをシミュレートしている等)と考えた場合にはこの説明は破綻し、「実際にこの世界を知るラプラスの悪魔はこの世界上には存在し得ない」ということの説明にしかならない(すなわち自由意志の肯定、あるいは決定論の否定ではない)。

自然の斉一性を巡る観点からの反論

現代の物理学は一般的に、最先端の量子力学も含め、自然界の運動や現象は全てなんらかの画一的な法則に寸分の狂いなく従っているという仮定に立脚する。しかし自然の斉一性に関する哲学議論はこれを無条件に承認せず、より慎重に議論の対象として扱う。

ある一定の法則に万物が斉一的に支配されている場合、ラプラスの悪魔は成立する。しかし、なんらかの法則に従わない対象が確認された場合、ラプラスの悪魔は成り立たない。

全知全能であることがその性質として定義されるゼウスなど一部の神話におけるのイメージとは異なり、ラプラスの悪魔の例えで期待される予測可能範囲は、科学法則に基づいて運動する事物に限られることを前提にしているためである。

自由意志による反論

ラプラスの悪魔をある種のコンピューターとして考え、人間には自由意志があると仮定した時、ラプラスの悪魔が提示した未来と反する行動を意図的に人間が行うことでラプラスの悪魔が提示した未来を破綻させることができる[5]

例えば、「今夜何をするか」をラプラスの悪魔が予測するとして、1.テレビを見る、2.ラジオを聞くという二通りがあるとしたとき、ラプラスの悪魔が1と予測すれば、人間が2を意図的に選ぶことでラプラスの悪魔は破綻することになる。

しかし、自由意志と決定論は基本的に相反する概念[注 2]であり、自由意志があると仮定した場合には決定論に依存するラプラスの悪魔が成立しないのはある種当然とも言える。

学術的観点からの反論

カオス理論

決定論が成立する場合でも、カオス理論によると、初期条件の微妙な差異により時間が経つにつれ大きな違いが生じる場合がある。そのためカオス理論はラプラスの悪魔に対する反証として挙げられる場合がある。これは現実的には未来が予測不可能であることを説明するが、しかしラプラスの悪魔は全ての条件が無限の精度で知られていることを前提としているので、初期条件の不確かさは存在しない。

量子力学

ラプラスの悪魔は決定論を前提としているため、量子力学の標準的なコペンハーゲン解釈とは両立しない[注 3]。ただ量子力学の解釈には決定論的なものもある (多世界解釈ド・ブロイ=ボーム解釈など) 。

脚注

注釈

  1. ^ そもそも、古典物理学では光や電子の挙動がうまく説明しきれなかったために、新たに提唱された物理解釈の理論が量子力学である[4]
  2. ^ 自由意志と決定論を両立する考え方もある。自由意志#哲学における自由意志も参照。
  3. ^ コペンハーゲン解釈では、量子的な系が持つゆらぎによって確率的な結果が現れる。この確率的な性質は、測定誤差のない理想的な測定のときや、測定による擾乱が十分小さいときにも生じる。なお一般向けの通俗的な説明ではラプラスの悪魔とハイゼンベルクの不確定原理を結び付けるものがあるが、ハイゼンベルクの不確定性原理を精密化した小澤の不等式では、(特定の条件下では)位置と運動量を同時に正確に測定することが原理的には可能であり、位置を正確に測定したときの運動量の擾乱を限りなく小さくすることも原理的には可能であるため注意を要する[6]

出典

  1. ^ https://kotobank.jp/word/ラプラスの魔-791574 ラプラスの魔とは」コトバンク、世界大百科事典内「場」からの言及より。
  2. ^ 大辞林 (第三版)』によると、一義的とは「一つの意味にしか考えられないさま」、つまり他の解釈決定がありえないと考えてしまうことを言う。
  3. ^ 河田 博「https://cir.nii.ac.jp/crid/1520853832653404416 "Ignoramus, Ignorabimus" ――われわれは知らないし,知らないであろう――」、『福岡大学医学紀要』第30巻第4号、福岡大学、2003年12月、 294頁。
  4. ^ 奥山 幸祐「半導体の歴史-20世紀前半 量子力学の誕生 〈前期量子論〉 -」『SEAJ Journal』No.116、 2008年9月、25-31頁。
  5. ^ Rukavicka, Josef (2014-06-01). “Rejection of Laplace's Demon” (英語). The American Mathematical Monthly 121 (6): 498–498. doi:10.4169/amer.math.monthly.121.06.498. ISSN 0002-9890. https://www.tandfonline.com/doi/full/10.4169/amer.math.monthly.121.06.498. 
  6. ^ 小澤正直「不確定性原理の新しい姿」『科学』2012年7月号、岩波書店

関連項目

外部リンク