ラグサ共和国
Respublica Ragusina (ラテン語 ) Dubrovačka Republika (クロアチア語 ) Repubblica di Ragusa (イタリア語 )
(国旗)
(国章)
国の標語: Non bene pro toto libertas venditur auro(ラテン語) 1426年頃のラグサ共和国の領土
ラグサ共和国の城壁などの様子をそのまま伝えるドゥブロヴニク
ラグサ共和国 (ラグサきょうわこく、イタリア語 : Repubblica di Ragusa 、クロアチア語 : Dubrovačka Republika 、ラテン語 : Respublica Ragusina 、ハンガリー語 : Raguzai Köztársaság )は、現在のクロアチア共和国 ダルマチア 地方のドゥブロヴニク (イタリア語名:ラグーザ Ragusa)に存在した都市 共和国 である。
歴史
1358年にハンガリー王国 から独立し、15世紀から16世紀にかけてアドリア海 および地中海 貿易で絶頂期を迎え、15世紀にはラグサから出る通商船が300艘、ラグサの人口は4万人といわれた[ 1] 。1667年の大地震 を契機に、そのころの地中海貿易の不振と相まって衰退が始まった。1806年にナポレオン軍 に降伏し、1808年にはイタリア王国 に併合された。ナポレオン没落後に開かれたウィーン会議 では、オーストリア帝国 の国力回復を目指す外相メッテルニヒ が議長となっていたこともあり、ラグサ共和国の再独立は認められず、オーストリア領ダルマチア(ダルマチア王国 )の一地方として、オーストリア帝冠領 に併合された。以後、再独立することなく現在に至っており、1991年以降はクロアチア領となっている。
現在、ドゥブロヴニクにはラグサ共和国時代の城壁 やその他の建物がほぼそのまま残っていて、世界遺産 にもなっている[ 2] [ 3] 。また、1022年 から1808年 までのドゥブロヴニク共和国のアーカイブ は2023年に世界の記憶 に登録された[ 4] 。
関連項目
脚注
^ 大日本文明協会『墺地利匈牙利 』大日本文明協会事務所、1916年4月15日、370頁。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953378/205 。
^ ラグサ
^ ラグサ共和国
^ “UNESCO Memory of the World Register ”. UNESCO. 2023年5月27日 閲覧。
^ “Was Dubrovnik a Colonial Power? ”. 3 Seas Europe (2023年6月24日). 2024年4月20日 閲覧。