ウィーンで生まれた。ウィーン大学でヨハン・ペーター・フランクのもとで学び、その後、ウィーンの貴族階級の子弟の学校、テレジアヌム(Theresianum)の植物学、博物学の教師となり、さらにクラクフやインスブルックの大学で教えた。1809年からフランツ・フォン・パウラ・シュランク(Franz von Paula Schrank)の後をついで、ランツフート大学の博物学と植物学の教授となった。ランツフートの大学は1826年にバイエルン王、ルートヴィヒ1世によってミュンヘンに移されるが、シュルテスはランツフートに留まり、医学校の校長となった。
ヨハン・ヤーコブ・レーマー(Johann Jacob Römer)とともに『カール・リンネの植物分類学』(Caroli a Linné systema vegetabilium:1817-1830)の16版を執筆した。植物学の著書のほかに、多くの旅行記も残した。スウェーデン王立科学アカデミーなど多くの学会のメンバーとなった。
リンドウ科のスクルテシア属(Schultesia)に献名されている。息子のユリウス・ヘルマン・シュルテス(Julius Hermann Schultes:1804-1840)も植物学者となった。