ヨハン (プファルツ=ノイマルクト公)
ヨハン(Johann, 1383年 - 1443年3月14日)は、プファルツ=ノイマルクト公。プファルツ選帝侯兼ローマ王ループレヒトとニュルンベルク城伯フリードリヒ5世の娘エリーザベトの三男。プファルツ=ノイマルクト家の祖。プファルツ選帝侯ルートヴィヒ3世の弟、プファルツ=ジンメルン=ツヴァイブリュッケン公シュテファン、プファルツ=モスバッハ公オットー1世の兄。カルマル同盟下の北欧三国の君主クリストファ・ア・バイエルンの父。 生涯1407年にポンメルン公ヴラティスラフ7世の娘カタリーナ(デンマーク・ノルウェー・スウェーデン王エーリク・ア・ポンメルンの妹)と結婚した。1410年の父の死後、遺領のうちノイマルクトを相続した。当時ノイマルクトは経済的に繁栄を迎えており、ヨハンはそれによって新規に教会や城を建造していった。 父の死後にローマ王位に就いたジギスムントを支持、同族の上バイエルン=インゴルシュタット公ルートヴィヒ7世とも同盟を結び、兄からオーバープファルツの一部を奪った。フス戦争にも参戦している。エーリクが貴族の専横を抑えきれずに退位した後、貴族たちからエーリクの甥である息子クリストフ(クリストファ)の即位を要請され、クリストファは1440年にデンマーク、1441年にスウェーデン、1442年にノルウェーの王に即位した。ヨハンは翌1443年に死去した。 子女カタリーナとの間に7人の子を儲けたが、末子のクリストフしか成長出来なかった。
1426年にカタリーナが死去、同年に上バイエルン=ミュンヘン公エルンストの娘ベアトリクスと再婚したが、子は無かった。
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