モンテリマール
モンテリマール (フランス語:Montélimar、オック語:Monteleimar)は、フランス、オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏、ドローム県のコミューン。別名で『プロヴァンスの入り口』(Portes de Provence)と呼ばれる。ハチミツとアーモンドで作ったヌガーが特産である。 地理ローヌ川谷の中間にあり、ジャブロン川とルビオン川の合流地点に位置する。プロヴァンス地方への北側の入り口にあたるモンテリマールは、ドーフィネとプロヴァンスの生態系が混ざり合っている。 歴史モンテリマール地域での人の定住は非常に古くに行われた。一組の火打石からたどると、ムスティエ文化期である紀元前5000年頃となる。 ケルト人がやってくると、セゴウェラウネス族(Segovellaunes)の領土となった。このケルト人の都は、都市の2つの突端の上にあった。ジェリのオッピドゥムは、ジャブロン川とルビオン川の古い合流地点ではなく、ナルボンヌ沿岸の終点にあたった。西暦100年頃ローマの影響下に入ると、ジェリの地(ラテン語でDurio)は、現在のモンテリマール中心地にできた新しい町の恩恵を徐々に受けなくなっていった。町はその名を変えた。その町はAcunumと関係があり、ルビオン川に架かる橋のそばに宿場が設置されたことが、タブラ・ペウティンゲリアナ(古代ローマの街道を記した地図。13世紀復刻)でわかっている。アグリッパ街道は、都市の成長の青写真づくりを助けた。フォルム、バシリカ、公共浴場がそこにはあった。町には3本の水道で水が供給されていた。 民族大移動時代、町は2つに分割された。フォルム周辺にできた新たな町と、ルビオン川に架かる橋を守るナルボンヌおよびAcunumである。 その後数世紀、モンテリマールは次から次へと新たな支配者を迎えた(ブルグント王国、フランク王国、ヴァランティノワ伯領、プロヴァンス王国)。 11世紀終わりから、アデマール一族がこの一帯の支配権を得た。モンテリマール初代領主ギヨーム・ユーグ・ダデマールは、第1回十字軍で教皇特使を務めたアデマール・ド・モンテイユの兄弟であった。この一族は13世紀までモンテリマールを治めた。12世紀、ナルボンヌの突端にアデマール家は邸宅を建てた。 1365年、モンテリマールの一部が共同統治者たるローマ教皇の保護下に入った。教皇は風格のある宮殿を改装し、城壁を修繕した。 1447年、ドーファンであるルイ王子(のちのルイ11世)がモンテリマール領主となった。 交通姉妹都市出身者
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