モンタギュー公爵モンタギュー公爵(英: Duke of Montagu)は、かつて存在したイギリスの公爵位。 歴史モンタギュー家の当主でノーサンプトンシャー選挙区選出の庶民院議員を務めたエドワード・モンタギュー(1563–1644)は、1621年6月29日にイングランド貴族爵位ノーサンプトン州におけるボートンのモンタギュー男爵(Baron Montagu, of Boughton in the County of Northampton)に叙位された[1][2]。 彼の孫にあたるラルフ・モンタギュー(1638–1709)も1684年の襲爵前にホイッグ党の庶民院議員を務め、1684年に第3代モンタギュー男爵位を襲爵し、1689年4月9日にイングランド貴族爵位モンタギュー伯爵(Earl of Montagu)とエセックス州におけるモンザーマーのモンザーマー子爵(Viscount Monthermer, of Monthermer in the County of Essex)に叙位された。さらに1705年4月14日にはイングランド貴族爵位のモンタギュー公爵(Duke of Montagu)とモンザーマー侯爵(Marquess of Monthermer)に叙位された。これが第1期のモンタギュー公爵の創設となった[3][4]。 彼の死後はその生存していた唯一の息子であるジョン・モンタギュー(1690–1749)が第2代モンタギュー公爵を継承したが、彼には男子がなかったため、彼の死去によって保有爵位はすべて消滅した[3][5]。 第一期のモンタギュー公はこれで終わったが、2代公の娘メアリー(1711頃–1785)は、第4代カーディガン伯爵ジョージ・モンタギュー(1712–1790)と結婚。その関係で4代カーディガン伯が1766年11月5日にグレートブリテン貴族爵位のモンタギュー公爵(Duke of Montagu)とモンザーマー侯爵(Marquess of Monthermer)に叙位された。これが二期目のモンタギュー公の創設となった。しかし彼の唯一の息子だったジョン・モンタギュー(1735–1770)が子供なく父に先立って死去。そのため一代で廃絶することになった[6][7]。 モンタギュー伯爵 (1689年)
モンタギュー公爵 第1期 (1705年)
モンタギュー公爵 第2期 (1766年)
家系図モンタギュー公爵・伯爵モンタギュー家系図
脚注
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