コーラン を学ぶガザン・ハン
ウルギー のモスク
バヤン・ウルギー県 トルボ 村のモスク
バヤン・ウルギー県ブルガン 村のモスク
本項目ではモンゴル のイスラム教 について記述する。
概要
総人口 の約5%[ 1] 、特に西部のバヤン・ウルギー県 (県 人口の88.7%)やホブド県 (同11.5%)のカザフ人 が信仰。この他にも国内各地にカザフ人住民の地区は多い。
歴史
モンゴルのイスラム教が初めて記録されたのは、フランチェスコ修道会 のウィリアム・ルブルック がカラコルム の宮廷で、モンケ・ハン に謁見した1254年 であった。ルブルックはネストリウス派 キリスト教会で復活祭 を祝ったが、「偶像崇拝 者」の寺院(仏閣 や道観 と見られる)7か所やモスク 2か所があったと書き留めている。これにより歴史学者 は、イスラム教が伝来したのは1222年 から1254年までの時期と推定している。こうした文書は当時のモンゴルや中央アジア を知る貴重な史料として名高い[ 2] 。
イスラム教はまた、チンギス・ハン がアフガニスタン を征服した後、モンゴル人 の注目を集めた。チンギス・ハンは1222年、モンゴルへの帰路トランスオクシアナ のブハラ に立ち寄り、イスラム教について尋ね、不要と考えたハッジ を除いてイスラム教の教義を容認したと考えられている。ただしチンギス・ハン自身は先祖と同様テングリ 信仰を守り抜いた。
チンギス・ハンの孫に当たるベルケ が、ホラズム 出身のダルヴィーシュ であるサラーフ・ウッディーンの働き掛けにより、イスラム教に改宗。ベルケはモンゴルの支配者としては初めて改宗した1人となった。他にもムスリムの妻の影響を受け、改宗した指導者がいる[ 3] 。
ジョチ・ウルス の多くのモンゴル人を改宗させる上で重要な役割を果たしたのが、マムルーク朝 の支配者バイバルス であった。バイバルスはジョチ・ウルスのモンゴル人との結び付きを強め、彼らがエジプト を遠征するための方策を講じた。エジプト遠征により、極めて多くのモンゴル人がイスラム教を受け入れることとなった[ 3] 。
1330年 までにはモンゴル帝国 を構成する4汗国 のうち、3つがムスリム国家となった[ 4] 。ジョチ・ウルス、イルハン朝 、チャガタイ・ハン国 である。なお、イルハン国は当初イスラム教を弾圧していたが、13世紀 末になるとガザン・ハン の下イスラム保護政策へと転ずる[ 2] 。税制面でも、保有する家畜の数に従って人頭税 や家畜税 が定められていたものの、土地税 へ変化[ 2] 。
元朝 もペルシア人 などのムスリムを「色目人 」として重用。モンゴル人に次ぐ準支配階級として、政治や経済、文化の諸分野で活躍することとなる[ 5] 。なかんずく天文学 や数学 などを中心とするイスラム文化 が栄えた[ 2] 。
元朝の宮廷はチベット仏教 を公認の宗教としていたものの、一般的なモンゴル人の大部分、特にモンゴル本土に住み続けた者は、シャーマニズム を固守。同朝の衰退後、シャーマニズムは再度支配宗教となるが、程度の差こそあれ、モグーリスタン・ハン国 のようなムスリム諸国との政治的、経済的関係は続いた。
ムスリム系カザフ人が19世紀 末以降、ジュンガル盆地 やアルタイ山脈 付近に定住し始める。こうしたカザフ人の大部分はケレイト 部族 とナイマン 部族で、その多くが帝政ロシア の迫害から逃れてきた者達であった。ボグド・ハーン が1911年 12月29日 にモンゴルにおける実権を掌握すると、新疆 [ 6] やアルタイ地域のカザフ人は新政権による庇護を求め、政府側もカザフ人にホブド 地方への定住を認めることとなる。
その後モンゴル人民共和国 が1921年 に独立すると、政府はカザフ人に対し独自文化の継承と存続を約しており、カザフ語 を公用語 として認めるに至る[ 7] 。
バヤン・ウルギー県が1940年 、モンゴル人民共和国の行政改革 により成立。出生率が過去最高となったことから、国内のムスリム人口は1956年 から1989年 にかけて増加の一途をたどることとなる。しかしながら、ソビエト連邦 崩壊に伴いカザフスタン へカザフ人が大挙して帰還したため、1990年 から1993年 にかけて減少[ 8] [ 9] 。また、1990年に民主化 して以降、宗教活動が自由にできるようになった。
現況
首都 のみならず西部で強い。ムスリムが多い主要都市としては、ウランバートル (ナライフ 区第4ホローで90%[ 10] )、トゥブ県 、セレンゲ県 、エルデネト市 、ダルハン市 、ブルガン市 、シャリンゴル市 (市の総人口の17.1%[ 11] )、ベルフ市 が挙げられる。
民族集団[ 12] 国勢調査
1956
%
1963
%
1969
%
1979
%
1989
%
2000
%
2007[ 13]
%
36,729
4.34
47,735
4.69
62,812
5.29
84,305
5.48
120,506
6.06
102,983
4.35
140,152
5.39
著名人
ガザン・ハンの硬貨はシャハーダ と共に鋳造
脚注
^ Muslim Population Pewforum
^ a b c d 4 モンゴル民族の発展 5 東西文化の交流と元代の文化 世界史ノート(中世編)
^ a b Arnold, Thomas Walker, The Preaching of Islam: a history of the propagation of the Muslim faith . Lahore: Sh. Muhammad Ashraf, 1896; pp. 192, 334
^ The Encyclopedia Americana , by Grolier Incorporated, p. 680
^ しきもく‐じん【色目人】 goo辞書
^ 元々は仏教徒勢力が非常に強く、イスラム化が完成したのは、10世紀半ばにイスラム教が伝来してから500年後の1513年であったモンゴル帝国期東トルキスタンの宗教 -新疆イスラム教小史2- 文教大学国際学部紀要
^ アルタイ山脈で「異邦人」体験!素朴なモスクでイスラム教に触れてみる1日 エイビーロード
^ US State department: Mongolia background note
^ CIA: The World Factbook
^ Education of Kazakh children: a situation analysis . Save the Children UK, 2006
^ Sharyngol city review [1] [リンク切れ ]
^ "Монгол улсын ястангуудын тоо, байршилд гарч буй өөрчлөлтyyдийн асуудалд" М. Баянтөр, Г. Нямдаваа, З. Баярмаа pp.57-70 Archived 2009年3月27日, at the Wayback Machine .
^ State Center for Civil Registration and Information
^ De Weese, Devin A. Islamization and Native Religion in the Golden Horde , Penn State Press, 1 Sep 1994, ISBN 0-271-01073-8 ; p. 3
^ Mahmud Ghazan . Encyclopædia Britannica. 2007. Britannica Concise Encyclopedia. 2 July 2007.
^ Limbert, J. W. (2004). Shiraz in the Age of Hafez: the glory of a medieval Persian city . Seattle: University of Washington Press. p. 87
^ Keene, H. G. A Sketch of the History of Hindustan from the First Muslim Conquest to the Fall of the Mughol Empire , London : W. H. Allen & Co., 1885
^ Khanbaghi, Aptin The Fire, the Star and the Cross: minority religions in medieval and early modern Iran . London: I. B. Tauris, 2005 ISBN 1-84511-056-0 ; pp. 69-70
^ The Biographical Dictionary of the Society for the Diffusion of Useful Knowledge . 4 vols. London, 1842-1844. p. 226
^ Vásáry, p. 71
^ Runciman, Steven A History of the Crusades . 3 vols. Cambridge University Press, 1951-1954, p. 397
^ Martin, Janet Medieval Russia, 980-1584: 980-1584 . Cambridge: Cambridge University Press, 1995; p. 171
^ Newman, Andrew J., ed. Society and Culture in the Early Modern Middle East . Leiden: Brill, 2003 ISBN 90-04-12774-7 ; p. 30
関連項目