モハマド・ザフアン・アドハ・アブドゥル・ラザク
モハマド・ザクアン・アドハ・アブドゥル・ラザク(マレー語: Mohd Zaquan Adha Abdul Radzak、1987年8月3日 - )は、マレーシアの元サッカー選手。元マレーシア代表。現役時代のポジションはMFもしくはFW。モハマド・アイディル・ザフアン・アブドゥル・ラザクは双子の兄。 クラブ歴ヌグリ・スンビランFA2004年に兄のアイディルと共にヌグリ・スンビランFAの下部組織に入団。2005-06シーズンには兄弟揃ってトップチームに昇格。この年にヌグリ・スンビランFAは初めてマレーシア・スーパーリーグを制した。 ヌグリ・スンビランFAとの契約は2008シーズン末までであった。この双子はスロバキアのクラブから興味を持たれており、2008 AFFスズキカップが終わった後にこのツォルゴン・リーガの匿名のクラブと契約を結ぶ予定であったが、拒否されたという[1]。このため、ヌグリ・スンビランFAとの契約を延長した。 ATM FA2012年にはATM FAに移籍し、クラブのマレーシアカップ決勝進出に貢献したものの、ケランタンFAの前に3-2で敗れてタイトル獲得とはならなかった。 JDT FC2013年にはアイディルと共にジョホール・ダルル・タクジムFCに加入した。 ペラFA2016年12月21日、ペラFAに1年契約で移籍した。 クアラルンプールFA2017年12月5日、クアラルンプールFAに移籍した。 ヌグリ・スンビラン復帰2020年12月、ヌグリ・スンビランへの復帰が報じられた。 2024年3月14日、現役引退を表明した[2]。 代表歴U-20以下マレーシアのアンダー代表としては既に14歳の時に兄のアイディルと共に選出されていた。2004年のAFCユース選手権にも出場した。2006年の同大会の際にもラジャゴパル・クリシュナサミ監督から選出されミャンマー代表と戦っている。しかし、怪我を負って以降は同大会での出場は無かった。 U-23代表サチアナタン・バスカラン監督によって北京オリンピックの予選の香港U-23代表戦に怪我から復帰後初招集された。2007年のムルデカ大会では3得点を獲得、これらは全て決勝のミャンマーU-23代表戦での得点であり、彼の功績があって3-1となり1993年以来の優勝を成し遂げた。2007年の東南アジア競技大会の際にも招集された。 A代表A代表初出場となったのは2010 FIFAワールドカップ・アジア予選であった。 リーグXI2008年7月29日にシャー・アラム・スタジアムで行われたチェルシーFCとの一戦にマレーシアリーグXIとして出場した。彼には得点の機会があったものの、ペトル・チェフに阻まれ得点とはならなかった。この試合はマレーシアリーグXIが0-2とされ敗北した。 個人成績代表での得点一覧
タイトルクラブ
代表個人
参考文献
外部リンク
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