メンケペルラーメンケペルラー(Menkheperre 在職:紀元前1045〜992年)は、古代エジプト第21王朝時代のアメンの大司祭[1]。 概要大司祭パネジェム1世とその妻ドゥアトハトホル=ヘヌトタウイの息子。異母兄に第21王朝の王プスセンネス1世、同母兄に前任の大司祭マサハルタとジェドコンスエフアンクフがいる。 スメンデス1世の治世25年目に大司祭に就任し、プスセンネス1世の治世とほぼ同じ年数在職した[2][1]。神官勢力の絶頂期にあたるこの時代、その長である大司祭は王に等しい世俗の権力を得ており、メンケペルラーもエジプト南部の事実上の支配者として、自信の名を文書に記す際はカルトゥーシュを用いた。 しかし、父パネジェム1世がカーケペルラー・セテプエンラー(『ラーの魂の出現、アメンに選ばれし者』の意味)という明確な現人神としての称号を用いたのに対し、メンケペルラーは曾祖父ヘリホルと同じヘムネチェルテピアメン(『アメンの第一の預言者』の意味)の称号を用いた[3]。これはメンケペルラーが自らファラオのような神性を帯びることはなく、あくまでも神の意志の代行者としての立場に留まっていた事を示す。 そのため、メンケペルラーの大司祭としての権力は、父の代と比較して幾分か縮小されていたと考えられ、プスセンネス1世の娘イセトエムケブCを妻に迎えている事もその証左と見ることができる[4][1]。王弟である司祭がタニス王家に臣従する姿勢を見せた結果、第20王朝末期から続いた権力の二重構造はある程度解消されたらしく、後継者であるスメンデス2世以降の司祭たちが王号やカルトゥーシュを用いる事は無くなった。 家族
脚注出典注釈参考文献
関連項目
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