メナイ吊橋 (メナイつりばし、英語 : Menai Suspension Bridge 、ウェールズ語 : Pont Grog y Borth )は、北ウェールズ のアングルシー島 とウェールズ の本土(グレートブリテン島 )のグウィネズ 間の道路交通を結ぶためにメナイ海峡 に架かけられた吊橋 である。橋はトーマス・テルフォード により設計され、1826年 に完成したもので、イギリス指定建造物 1級 (Grade I) に指定されている[ 8] 。完成から1834年 までは世界最長の吊橋であった[ 2] 。
背景
メナイ海峡 は、メナイ海峡断層系に関連する脆弱な線上沿いに[ 9] 、氷食 により形成されものである。一連の更新世 の氷期 (約258万年前から1万1700年前まで)の間に、連続した氷床がアングルシー島 とそれに隣り合うアルフォン (英語版 ) を横切って北東から南西に移動し、下にある岩を研磨して、連なる線状基盤岩の谷間を形成した。これらの流路の最深部は、氷床が後退してメナイ海峡を形造ると最終的に海水に水没した[ 3] 。メナイ (Menai ) という名称は、ウェールズ語 の main-aw または main-wy に由来し、「狭い水域」(英 : ‘narrow water’ )を意味する[ 10] 。
アングルシーは、記録にあるヒトの歴史において島であり、そこに到達する唯一の方法は海峡の横断であった。しかし、それは常に危険な試みであり、なぜなら2方向に満ち引きする一日4度の潮汐 が、小船が沈没するほどの激しい潮流や渦流を引き起こすことによる。そんな危険をよそに、渡し船(英 : ferries )がメナイ海峡に絶え間なく運航され、島と本土を結び乗客や物品を運搬した。1785年 、55人を乗せた船(英 : boat )がメナイ海峡の南端で大強風のなか座礁して沈没し始め、カーナーヴォン からの救助艇が大破して沈む船にたどり着く前に、生き延びたのは1人だけであった[ 11] 。同じように、アングルシーの主な収入源はウシ の販売であり、ロンドン など本土の市場への移動には、ウシを水に追いやって海峡を泳ぎ渡るように仕向ける必要があり、貴重な家畜を失うような事態もしばしば起こった[ 12] [ 13] 。干潮時には水深 17インチ (0.4 m) となるような砂州もあったが、歩いて渡るのはやはり非常に困難であった[ 11] 。
1800年 、アイルランド は連合法 の可決によりグレートブリテン に併合されることになった。これによりアイルランド島 のダブリン に向かう途上、ロンドンとアングルシー島のホリーヘッド の間を移動する渡航者が急速に増加した[ 14] 。しかし橋が架かるまで、アングルシー島にはウェールズ本土との接続が確立しておらず、メナイ海峡の危険な水域を渡し船で横断することを余儀なくされていた[ 15] 。1815年 、連合王国議会 は土木技師 のトーマス・テルフォード に与えた事業の責任において[ 16] 、ホリーヘッド・ロード (A5 (英語版 ) ) 建設の法令を制定した。克服することが困難ないくつかの地理的障害があるにもかかわらず、アイルランドへの最短(約100km[ 17] )地点であるホリーヘッドがダブリンに渡るフェリー の主要港であったことから、この経路が選択された。テルフォードはロンドンからホリーヘッドまでの経路の調査を完了した後、メナイ海峡における本土のバンガー 付近からアングルシー島の Porthaethwy (今日のメナイ・ブリッジ (英語版 ) )の村に向けて橋を架けることが最善の選択であると提案した[ 12] 。
架橋の場所は、下を通過する帆船 (トールシップ )の航行を可能とする十分な高さのある高い土手があったことから選定された。テルフォードは、この地点が海峡の流れの速い水域を渡すには十分な径間となることから、吊橋が最良の選択であると提言した。1818年 [ 18] 、テルフォードの提案は議会により承認された[ 12] 。
建設
完成前1820年作成の橋の設計・景観図(鉄柵状の主塔ほか鎖ケーブルも異なる)
テルフォードの設計による橋の建設は、1819年 8月10日より[ 16] 、海峡の両側の石積みのアーチ と塔から開始され、この工事に6年を要した[ 19] 。これらはペンモン (英語版 ) の石灰岩 により構築され、内部は隔壁 (英語版 ) を備えた空洞であった[ 20] 。
次いで、支間長 176.4メートル (579 ft) を支持するため[ 21] 、それぞれ長さ 2.9メートル (9.5 ft) の錬鉄 の棒材(アイバー (英語版 ) )[ 4] [ 22] 935本でできた16本の膨大な鎖 (チェーン)ケーブル に取り掛かった[ 23] 。製造から使用までの間に錆びるのを避けるため、鉄は亜麻仁油 に浸され[ 4] 、後に塗装された[ 24] 。鎖(チェーン)はそれぞれ 522.3メートル (1,714 ft) を測り、重量は 121ロングトン (123 t; 136ショートトン) であった。それらの吊る強さは 2,016ロングトン (2,048 t; 2,258ショートトン) と計算された[ 12] 。鉄材は合計2187トンが使用された[ 4] 。
1825年 4月26日に最初の鎖ケーブルが架けられた[ 4] [ 20] 。総員150人により[ 20] 、長さ 140メートル (460 ft) 余り、幅 1.8メートル (5.9 ft) のいかだ から、ウインチ2台でケーブルを引き上げて固定するという大作業が成功した際、テルフォードはひざまずき神に感謝の祈りを捧げたといわれる[ 25] 。その後7月25日にはすべて引き上げられ[ 4] 、橋は1826年 1月30日[ 4] [ 16] 、大ファンファーレのうちに開通し[ 12] 、最初にロンドンからホリーヘッドに向かう郵便馬車 が渡った[ 5] 。
開通以降
2005年に塗装が施されたメナイ吊橋(2005年8月)
アングルシー 側から見た吊橋(2008年6月)
車道の幅はわずか 24フィート (7.3 m) であり、間もなくトラス で補強しなければ、風に揺れて非常に不安定であることが分かった[ 13] 。1840年 に、メナイ橋の橋床が W・A・プロビス (W. A. Provis) により補強され、1893年 には木製の表層部(床版 [ 13] )全体がベンジャミン・ベイカー (英語版 ) により設計された鋼製の橋床に置き換えられた[ 26] 。また、長年にわたる4.5トンの重量制限は、増加する運輸産業に対して問題があるとされると、1938年 から1941年 に[ 4] [ 5] 、もとの錬鉄 製のチェーンが、橋を閉じることなく鋼 製のチェーンに交換された。1999年 には、橋は橋床の強化と[ 16] 道路の再舗装のために約1か月閉鎖され、その間すべての行き来は隣のブリタニア橋 を経由することを必要とした。
2005年 2月28日、橋は世界遺産 の候補としてユネスコ に奨励された。同じ日に橋の1車線が6か月閉鎖され、交通は1つの片側車線に絞られて、午前中は本土へ、午後はアングルシー島への往還通行がなされた。橋は1940年 以来65年ぶりの大規模な再塗装の後[ 16] [ 27] 、2005年12月11日、双方向の通行が再開されるようになった[ 28] 。
文化
海峡に架かる吊橋の描画 (1840年頃)
1840年代にスタッフォードシャー陶器 (英語版 ) の炻器 皿に描かれた橋(J・L・ルーネベリ 家)
メナイ吊橋の橋脚と中央支間
夕刻のメナイ吊橋
アングルジー島の沿岸を巡るアングルジー・コースタル・パス (英語版 ) は橋の下を通過する。最寄りの居住地はメナイ・ブリッジ (英語版 ) の町である[ 15] 。
メナイ吊橋の橋脚の欄干から支柱の間にかけての表象が、2005年鋳造のイギリスの1ポンド硬貨 (英語版 ) の裏に描かれた[ 29] 。硬貨はイギリス人デザイナーで彫版工(エングレーバー )のエドウィナ・エリス (Edwina Ellis) によりデザインされた[ 30] 。
「メナイ・ブリッジ」はチャールズ3世 のコードネーム であり、チャールズが亡くなった際には、公式葬儀計画として「オペレーション・メナイ・ブリッジ」(Operation Menai Bridge) が発動される[ 31] [ 32] 。
引用
白の騎士からアリスへ:(白の騎士の歌)
"I heard him then, for I had just
Completed my design
To keep the Menai bridge from rust
By boiling it in wine."
「それは聞こえた、たったいま
工夫をおえたばかりゆえ
メナイ橋をばぶどう酒で
煮てさびるのを防ぐ法(て)を。」[ 33]
ウェールズの「エングリン(詩)」
Uchelgaer uwch y weilgi – gyr y byd
Ei gerbydau drosti,
Chwithau, holl longau y lli,
Ewch o dan ei chadwyni.
High fortress above the sea – the world drives
Its carriages across it;
And you, all you ships of the sea,
Pass beneath its chains.
(高い砦は海を越え – 世界を駆ける
その馬車がそこを渡り、
そしてあなた、あなたと海の船はみな
その鎖の真下を過ぎる。)
—デイヴィッド・オーウェン (David Owen, 1784–1841)
脚注
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^ a b デュプレ 、46頁
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^ a b c d e f g h i j ガボル・メドベド 著、成瀬輝男 訳『世界の橋物語』山海堂 、1999年(原著1987年)、47頁。ISBN 4-381-01211-9 。
^ a b c d Brown (2001) 、59頁
^ NHKテクノパワー・プロジェクト (1993) 、144頁
^ “18572: Menai Suspension Bridge ”. Full Report for Listed Buildings . Cadw . 2021年11月14日 閲覧。
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^ Morgan, Thomas (1887). Handbook of the origin of place-names in Wales and Monmouthshire . H.V. Southey, "Express" Office. p. 17. https://vdocuments.mx/handbook-of-the-origin-of-place-names-in-of-the-origin-of-place-names-in-.html 2021年5月16日 閲覧。
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^ “Llwybr y Llewod 8-13 ” (ウェールズ語). BBC Lleol . BBC. 2021年5月16日 閲覧。
参考文献
関連文献
関連項目
外部リンク
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