メデトカン・シェリムクロフメデトカン・シェリムクロフ(1939年11月17日 - )は、キルギスタンの政治家、外交官。駐イラン非常全権大使。ソ連8月クーデター時の最高会議議長だった。 ソ連時代ソクルクスキー地区チャパエヴォ村(現ソクルク地区ジュィラムィシュ)出身。 1967年、キルギス国立大学、1970年、モスクワ国立大学大学院を卒業。
第11期、第12期キルギスタン最高会議代議員。ソ連8月クーデター時には、「でしゃばらずに、待つこと」を提案した。 キルギス共和国時代1994年、ナゴルノ・カラバフ平和調停CIS議会間部会議長。1995年、大統領に立候補したが、3%未満しか得票できなかった。 1995年からキルギス国立大学政治学教授代行、戦略研究・国務・政治科学教育センター教授。 1998年11月2日~2002年7月15日、駐トルコ非常全権大使。2000年2月、故郷のソクルスキー地区からジョゴルク・ケネシ人民代表議会に出馬しようとしたが、過去3年以上の居住という立候補資格がなかったため、登録を拒否された。 2007年6月8日から駐イラン非常全権大使。 パーソナル妻帯、3児を有する。 哲学科学準博士、政治科学博士(論文テーマは、「キルギスタンにおける議会制度の樹立と発展」)。 2004年10月5日、CIS加盟国議会間総会勲章を受章。 |