メイ・サートンメイ・サートン(May Sarton, 1912年5月3日 - 1995年7月16日)は、ベルギー出身のアメリカ合衆国の小説家・詩人。 略歴科学史家ジョージ・サートンを父としてベルギーのワンデルゲム(ヘントの一地区)に生まれる。 第一次世界大戦でドイツ軍が侵攻したため、4歳のとき父母とともに英国を経て、アメリカのボストンに亡命する。父はハーヴァード大学に勤め、メイはマサチューセッツ州ケンブリッジのラテン学校を卒業して女優になり、劇団を主宰するが挫折する。 1938年の処女詩集を上梓してからは著述に専念した。1945年、ニューメキシコ州のサンタフェでジュディ・マトラックと知り合い、13年間恋人となる。1960年代後半、小説のなかで同性愛を明らかにしたことで大学の職を追われ、本の出版も中止された[1]。1978年にパートナーとの別離や、小説『総決算の時』への酷評、乳がんの手術などが重なり、鬱状態となる。しかし、自然・読書・友人・ファンに支えられて回復していった[2]。 『独り居の日記』をはじめとする日記でも知られる。 日本語訳著書
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