メアリー・マイルズ・ミンター
メアリー・マイルズ・ミンター(Mary Miles Minter, 1902年4月25日 - 1984年8月4日) はサイレント映画期のアメリカ合衆国の女優。 略歴ブロードウェイ女優シャーロット・シェルビーの次女として、ルイジアナ州シュリーブポートに生まれる。姉のマーガレットと共に幼い頃より舞台に立つ。1915年、13歳で映画デビュー。清純で慎ましい役柄から次代のメアリー・ピックフォードと称される。 1919年、ウィリアム・デズモンド・テイラー監督「Anne of Green Gables(『赤毛のアン』の映画化、日本語題『天涯の孤児』)」のヒットにより一躍スターとなる。この際、父親を知らずに育ったメアリーは30歳年上のテイラー監督に恋心を抱いたとされる。1922年、テイラー監督が自宅で何者かに殺害される事件が起こるが、その際メアリーがテイラー監督に宛てて記したラブレターが発見された事で、マスコミが書きたて一大スキャンダルとなった。 人気も失墜し女優業に失望したメアリーは、パラマウントの所属契約が切れるのをきっかけにほどなく引退。1925年には映画の出演料をめぐり母親を訴えている(後に和解)[1][2]。その後も殺人事件を巡って毀誉褒貶があったものの、1957年に実業家と結婚、晩年は裕福な生活を送った。1984年、カリフォルニア州サンタモニカで脳梗塞により82歳で逝去。 現在、代表作の『天涯の孤児』のフィルムこそ消失しているものの、その他数本の映画が現存している。 主な作品
関連項目
参考文献
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