ミネソタ州会議事堂
ミネソタ州会議事堂 (ミネソタしゅうかいぎじどう、Minnesota State Capitol )は、アメリカ合衆国 ミネソタ州 の州都 セントポール に立地する同州議会の議事堂。ミネソタ州議会 の上下両院の議場、司法長官 室、州知事 室を備える。ミネソタ州最高裁判所の法廷も有しているが、ほとんどの裁判は隣接するミネソタ司法センターで行われている。
議事堂のルネサンス調 の建物はカス・ギルバート の設計によるもので、バチカン のサン・ピエトロ大聖堂 をモデルとしている。最上部には支柱のない大理石 造のドームが覆いかぶさっている。支柱なしの大理石のドームを有する建物はこのミネソタ州会議事堂を含め、世界に4-5棟しかないと考えられている[ 1] 。建設は1896年 に始まり、1905年 に完成するまで10年の歳月を要した。現存する議事堂は3番目の建物である。最初の建物は1881年 に火災 で焼失し、2番目の建物は1883年 に完成したが、すでに手狭になっていた。
議事堂のドームとクアドリガの彫刻
議事堂の南入り口の真上にあたるドームの前には、The Progress of the State (州の進歩)と呼ばれるクアドリガ が飾られている。このクアドリガは2名の彫刻家、ダニエル・チェスター・フレンチとエドワード・クラーク・ポッター による作品である。彫刻は議事堂の完成した翌年、1906年 に完成し、屋根 のドームの前に飾られた。1994年 から翌1995年 にかけて、彫刻の金箔 を張り替えるなどの修復がなされた。また、大理石のドームを飾る球体にも同様の修復作業が行われた。
ミケランジェロ によるサン・ピエトロ大聖堂のドーム以降に造られたドームはおよそ比べられるものであるが、ギルバートの設計したドームはミケランジェロに対する敬意の表明としてサン・ピエトロ大聖堂のドームによく似せたものでありながら、いくつかの相違点があった。もともとの設計では、ギルバートはより広い壁体を用い、より大きいドームを作る予定であった。小さいドームは「小さすぎる」という批判を浴びるおそれがあったからである。しかし実際には、ミネソタ州会議事堂のドームはサン・ピエトロ大聖堂のドームよりも小さく、簡素化された設計になっていた。例えば、上部のランタン を囲む円柱は2本ではなく1本になっていた。ドームの梁はサン・ピエトロ大聖堂のものほどはっきりとはしていないが、それでも視覚的に明らかであった。ギルバートはサン・ピエトロ大聖堂のドームが不安定に近かったことを知っていた。サン・ピエトロ大聖堂のドームは壊れ、強化される必要があった。議事堂を建てるこのプロジェクトにおいてギルバートを補佐した技術者、ガンバルド・オースは、まず鉄製の強化帯の中に煉瓦 造のドームを造った。次いでギルバートは円柱を取り囲む梁を組にし、そこに大理石をかぶせた。サン・ピエトロ大聖堂とこのミネソタ州会議事堂のほかには、大理石造のドームはインド ・アーグラ のタージ・マハル とロードアイランド州 の州都プロビデンス のロードアイランド州会議事堂 にある。
議事堂のわきに立つヴァイキング の像
この場には不適切であると思われた凱旋門 のデザインに似ないよう、ドーム直下の入り口は3連にする必要があった。同様に、議事堂がミネソタ州民に対し攻撃的な姿にならないよう、ギルバートはいかなる宮殿 にも似せないように設計した。しかし、ギルバートは地元ミネソタ州産の石ではなく、ジョージア州 産の石を使ったことで憤怒を買った。そこでギルバートは建物の基礎や内装にミネソタ州産の様々な石を使うという妥協策を取った。完成後、議事堂の出来映えは外装・内装ともに高く評価され、ギルバートの元にはウェストバージニア州 やアーカンソー州 など他州の州会議事堂や、その他有名な建物の設計依頼が数多く寄せられた。
ミネソタ州会議事堂の建設には当時の貨幣価値で450万ドル を要した。議事堂は1905年 1月2日にその門戸を公に開いた。現在の貨幣価値ではこの議事堂はおよそ4億ドル相当であると推定されている。2005年 に行われた築100周年記念式典の一環として、政治家たちは6,500万ドルの改修費用に充てる寄付への支持が得られることを望んだ。
ミネソタ州会議事堂は1972年 に国家歴史登録財 に指定された。
脚注
参考文献
Andersen, Elmer L. Elmer's Tour: A Former Governor's Loving Look at the Minnesota State Capitol . Nodin Press. 2005. ISBN 1-932472-38-X .
関連項目
外部リンク