マーチン・バルガス
マーチン・バルガス・バウティスタ(Martin Vargas Bautista , 1978年2月22日 - )は、ドミニカ共和国出身の元プロ野球選手(投手)。 経歴大リーグ傘下時代1995年にクリーブランド・インディアンスに入団[1]。2002年のシーズン途中まで、傘下のマイナーチームでプレーしていた。大リーグでの登板経験はなかった[1]。 中日時代2002年6月28日、中日ドラゴンズへの入団が発表された[1]。同年シーズン終了までの契約で、年俸は契約金込みで21万ドル[1]だった。2日後の6月30日に来日[2]。7月6日の二軍戦に先発登板し、4回2失点だった[3]。7月24日の広島戦(ナゴヤドーム)で初登板・初先発[4]。7回1/3を1安打無失点と好投し、来日初勝利を挙げた[4]。その後も先発ローテーションを守っていたが、9月6日に次男の病気のため母国に帰国[5][6]し、そのままシーズンを終えた。最終的に8試合に登板し、2勝4敗、防御率3.33の成績だった。2勝はいずれも広島戦で挙げたものだった[7]。 2003年は2月4日に来日[8]。オフに母国のウインターリーグで1試合しか登板しなかったことにより、懲罰的にキャンプは2軍スタートとなった[8]。同年は、先発登板で2試合連続KOされた[9][10]マーク・バルデスに代わり4月28日に一軍昇格[11]。5月4日の横浜戦(ナゴヤドーム)でシーズン初先発し、4回1失点の内容だった[12]。 2004年、4月9日の阪神戦(甲子園球場)でマイク・キンケードの頭部に死球を投じたため危険球退場処分となった[13]。5月12日のヤクルト戦(ナゴヤドーム)で2年ぶりに白星を挙げた[14]。オフに戦力外通告を受け、退団[15]。 中日退団後2004年12月11日、韓国の三星ライオンズと契約し、2005年は二桁勝利をあげチームのアジアシリーズ出場に貢献した。アジアシリーズでも千葉ロッテマリーンズを相手に登板した(敗戦投手)。しかし、シリーズ終了後に解雇された。 2006年は7月30日、台湾・中華職業棒球大聯盟のLa Newベアーズに入団。登録名は、巴克斯。初登板では勝ち投手になったが、2度目の登板で四球を連発してしまい、結局8月22日に解雇されてしまった。その後は、メキシカンリーグでプレーした。 2013年には、野球スクールを経営して野球の指導を行っていることが報道された[16]。 プレースタイル・人物微妙に変化する速球から黒蛇(ブラックスネーク)のニックネームを付けられていた[2]。 武器は150kmを超え微妙に変化するムービングファストボールであるが、コントロールの悪さと決め球の無さから狙い撃ちにされて自滅するパターンが多かった。 台湾と韓国では生年月日が1977年2月22日となっており、日本での生年月日と比べると1年半ほど年齢が上となっている。 詳細情報年度別投手成績
記録
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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