マーク・キャリアー (セイフティ)
マーク・キャリアー(1968年4月28日- )はルイジアナ州レイクチャールズ出身のアメリカンフットボール選手、指導者。現役時代のポジションはディフェンシブバック。 経歴プロ入りまでカリフォルニア州ロングビーチの高校時代、彼はUSAトゥデイからオールアメリカンに選出された。 その後、USCに進学し、3年次の1989年、7インターセプト、107タックル、3ファンブルリカバー、10パスブロックの成績をあげて、USCの選手としては初のジム・ソープ賞(カレッジフットボールで最も優れたディフェンスバックに贈られる賞)を受賞した。3シーズンで彼は13インターセプトを記録した。2006年、USCの殿堂入りを果たしている。 NFL選手1990年のNFLドラフト1巡全体6位でシカゴ・ベアーズに指名されて入団した。12月9日のワシントン・レッドスキンズ戦では3インターセプトをあげたがチームは9-10で敗れた[1]。彼は1979年に入団したダン・ハンプトン以来となる全16試合に先発出場し[2]、NFLトップの10インターセプトをあげて、最優秀新人守備選手に選ばれた[3]。この年及び1991年、1993年にはプロボウルにも選ばれた。 ベアーズでは1996年までプレーした。彼が作ったシーズン10インターセプトはベアーズ記録でもある[4]。 1997年から1999年までデトロイト・ライオンズでプレーした。1998年にタンパベイ・バッカニアーズとのマンデーナイトフットボールで相手WRのブライス・ハンターにヘルメットからタックルしたプレーにより1試合出場停止となった[5]。 フリーエージェントとなった彼は、2000年2月、ワシントン・レッドスキンズと5年契約を結んだ[6]が、2001年にマーティ・ショッテンハイマーがレッドスキンズのヘッドコーチに就任するとトレ・ジョンソン、キース・シムズ、デイナ・スタブルフィールドとともにサラリーキャップを空けるために解雇された[7]。 現役生活を終えた後、ラジオやテレビでの解説者となった[8]。 コーチ2004年から2年間、アリゾナ州立大学のコーナーバックコーチを務めた後[8]、2006年、ボルチモア・レイブンズのディフェンスバックコーチに就任し4年間(その内3年間はレックス・ライアンの下[9])務めた。この間エド・リードらを指導し、2006年から2008年までの3シーズンでレイブンズがあげた71インターセプトはNFLトップであった[8]。2009年にもレイブンズはNFLで2番目に少ない27タッチダウン(ランで8回、パスで17回)しか相手に許さなかった[10]。 2010年にニューヨーク・ジェッツのディフェンスラインコーチに就任し[9]、2011年まで務めた。 2012年からはシンシナティ・ベンガルズのディフェンシブバックコーチに就任し、2015年まで務めた。 その他彼の前にベアーズの先発セイフティだった、デイブ・デュアソンが脳震盪に悩まされ自殺した[11]ことを聞いた彼は「晩年の彼が問題を抱えていることは知っていた。笑顔を絶やさない選手であった。」と語った[12]。 脚注
外部リンク
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