マーガレット・スキニダー (英語 : Margaret Skinnider 、1892年 5月28日 -1971年 10月10日 )は、スコットランド 、コートブリッジ 生まれの革命家 、フェミニスト である。1916年 のイースター蜂起 で主にスナイパー として戦い、女性で唯一の戦傷 者となった。この際に斥候 として勇敢に活動した[ 1] 。ニューヨーク・タイムズ 紙のサイヴ・ウォルシュは、スキニダーを「スナイパーに転身した学校教師」と呼んだ[ 2] 。
生い立ち
1893年、ラナークシャー のコートブリッジにてアイルランド人 の両親のもとに生まれ、数学教師になるべく勉学に励んだ。また、グラスゴー のクマン・ナ・マン (英語版 ) やパース刑務所 (英語版 ) での抗議を含む女性参政権運動 にも参加している[ 3] [ 4] 。彼女の狙撃の腕は、皮肉なことに大英帝国 が女性を防衛戦力とすべく立ち上げたライフル クラブで培われたものである[ 5] [ 6] 。アイルランドへの旅行中にコンスタンツ・マルキエビッチ の影響を受け、イースター蜂起 の準備として爆弾の起爆装置や製造部品を帽子に入れて密輸した[ 7] 。スキニダーは数学教師であったため、爆破攻撃のために距離計算をして図面を書くこともできた[ 8] [ 9] 。ダブリン近郊の丘にてマドレイン・フレンチ=マレン (英語版 ) と共にダイナマイト の試験も行っている[ 10] 。
コンスタンツ・マルキエビッチによって「ダブリンの最貧地区」を見せられたスキニダーは、「世界中でこれよりもひどい場所があるだろうか」、通りは「汚水とごみで満たされた空洞」であり、建物は「まるで砲撃でも受けたかのように穴だらけだった」と述べている[ 11] 。
イースター蜂起
男装したマーガレット・スキニダー
偵察兵、伝達兵(しばしば男装で少年のふりをして行った)、スナイパーとして様々な作戦に従事しつつ、スキニダーはマイケル・マリン 将軍とコンスタンツ・マルキエビッチの指揮の下、アイルランド王立外科医学院 およびセント・スティーヴンズ・グリーン の守備隊で戦った[ 12] 。伝えられるところによれば、抜きん出た狙撃の名手だったという。ユニヴァーシティ・チャーチの屋根にマシンガンを設置したイギリス兵らの退路を断つべくハーコートストリートの屋根を焼き落そうとしていた所、三度撃たれ深刻な負傷をした[ 3] 。
ノラ・コノリー・オブライエン (英語版 ) はこの行動におけるスキニダーの指導的役割について、著名な革命家であったウィリアム・パートリッジ (英語版 ) もスキニダーを隊のリーダーとして扱っていたことを記録している[ 13] 。
スキニダーは自叙伝『アイルランドのために一肌脱いで』Doing My Bit for Ireland (1917) にて、イースター蜂起 時のセント・スティーヴンズ・グリーンでの自身のスナイパーとしての役割について、以下のように鮮やかに記述している。
視界は暗く、銃声と煙に満ちていた。しかし行動するには丁度良かった。木々はそのてっぺんの向こうを見る事が出来たし、シェルボーンの屋根の上には英国軍の姿が見えた。同時に、我らが要塞の屋根と壁に銃弾の降り注ぐ音も聞こえた。というのも実際、まさに私たちのいる建物がその標的だったからだ。私が照準した男の倒れ落ちる様を、私は何度も見た。
軍事行動に参加する女性という自身の役割について、スキニダーはこう述べる。
マリン指揮官は、女性にこの種のリスクを負わせる事に全く乗り気でないにせよ、最終的には同意した。この問題についての私の見解は、私たちは命を危険に晒す権利においても男性と同等であるという事だ。アイルランド共和国憲法の中でも女性は男性と対等である。そして実のところ、この憲法は歴史で初めて参政権平等の原則を含んだものでもある。
シン・フェイン の元党首ジェリー・アダムズ (英語版 ) は、スキニダーの言葉を2006年のシン・フェイン党 の党大会で引用している[ 16] 。
スキニダーは負傷し、数週間は病院に収容されたが、重症であったため医師の判断のおかげで逮捕を免れ、ダブリン城 から旅行許可を取得する事で故郷のスコットランド に戻ることができた[ 1] 。
1916年以降の活動
スキニダーはダブリン に戻るが、翌年には抑留のおそれからアメリカ合衆国へ渡った。アメリカにいる間、彼女はアイルランド共和 派の為の資金を集め、イースター蜂起を戦った他の女性と共に講演を行った[ 17] 。また、ニューヨークで自叙伝『アイルランドのために一肌脱いで』 (Doing My Bit for Ireland ) を出版している。 スキニダーは後にアイルランドに戻り、1917年にダブリンで教職に就いた。スキニダーはおそらくレズビアン であり、1919年頃までにはパートナーのノラ・オキーフとともにカップルとして暮らすようになった[ 18] 。アイルランド独立戦争 中、彼女は逮捕・投獄された。 内戦では、1923年に逮捕されて北ダブリン救貧院に収容されるまで、 アイルランド共和軍 の主計長官を務めた。捕囚中は囚人の訓練監督をつとめた[ 1] 。
1925年からスキニダーは何度か元兵士として恩給 を申請したが、女性であることを理由に断られた[ 19] 。1938年にやっと申請が認められた[ 19] 。
その後
釈放後から1961年に退職するまで、スキニダーはダブリンのキングズ・イン・ストリート・シスターズ・オブ・チャリティ小学校で教師として働いた。教員として働く間はアイルランド国立教師組織 (INTO) のメンバーで居続け、1956年には総長となった[ 20] 。女性の権利のためにも尽力を惜しまなかった[ 20] 。晩年はダブリン県 グレナギャリーに住み、1971年10月10日に没した[ 20] 。ダブリンのグラスネヴィン・セメタリー にあるアイルランド共和主義者 の埋葬区画で、マルキエビッチ伯爵夫人の隣に埋葬された[ 5] 。
脚注
^ a b c Sinéad McCoole. “Seven Women of the Labour Movement 1916 ”. Labour Party (Ireland) . p. 16. 2019年10月6日 閲覧。
^ The Sisterhood of the Easter Rising The New York Times , March 16, 2016
^ a b “News ”. An Phoblacht. 2014年2月3日 閲覧。
^ Ewan, Elizabeth (2018). The New Biographical Dictionary of Scottish Women . Edinburgh University Press. p. 395
^ a b Eight Women of the Easter Rising The New York Times, March 16, 2016
^ “RootsWeb: IRELAND-L [IRELAND] Women of Ireland Series: Margaret Skinnider ”. Archiver.rootsweb.ancestry.com (2002年7月14日). 2014年2月3日 閲覧。
^ Yeoman, Louise (2016年3月29日). “The rebel Scots woman wounded in the Easter Rising” (英語). BBC . https://www.bbc.com/news/uk-scotland-35832371 2019年10月10日 閲覧。
^ ブレイディみかこ 『女たちのテロル』岩波書店 、2019年、29頁。
^ “WBTM-30 Margaret Skinnider | Dublin City Council ”. www.dublincity.ie . 2019年10月11日 閲覧。
^ Moynihan, Mary (2019-05-15). “Margaret Skinnider: from maths teacher to 1916 sharpshooter” (英語). RTÉ . https://www.rte.ie/brainstorm/2019/0515/1049649-margaret-skinnider-easter-1916-maths-sharpshooter/ .
^ “An Phoblacht/Republican News ”. Republican-news.org (1916年4月24日). 17 February 2012時点のオリジナル よりアーカイブ。2014年2月3日 閲覧。
^ “Archived copy ”. 4 October 2008時点のオリジナル よりアーカイブ。2009年2月1日 閲覧。
^ McKenna, Joseph (2017). Voices from the Easter Rising. . McFarland & Company, Inc., Publishers. p. 193. ISBN 1476629161 . OCLC 990411924 . https://www.worldcat.org/oclc/990411924
^ Margaret Skinnider, Doing My Bit for Ireland (New York: Century, 1917), p. 137, https://archive.org/details/doingmybitforire00skiniala
^ Margaret Skinnider, Doing My Bit for Ireland (New York: Century, 1917), p. 143, https://archive.org/details/doingmybitforire00skiniala
^ Gerry Adams MP Presidential Address Ard Fheis 2006 , Archived 14 September 2008 at the Wayback Machine .
^ “3.1.9 Nationalism 1916-17 ”. Scoilnet.ie. 29 October 2013時点のオリジナル よりアーカイブ。2014年2月3日 閲覧。
^ McAuliffe, Mary. “Margaret Skinnider: radical feminist, militant nationalist, trade union activist ” (英語). The Irish Times . 2020年6月28日 閲覧。
^ a b “#OTD in 1892 – Birth of revolutionary and feminist, Margaret Skinnider, in Coatbridge, Scotland. She fought during the 1916 Easter Rising in Dublin. ” (英語). Stair na hÉireann | History of Ireland (2023年5月28日). 2023年5月28日 閲覧。
^ a b c McCoole, Sinéad. “Seven Women of the Labour Movement 1916 ”. Labour Party. p. 17. 2019年10月6日 閲覧。
外部リンク