マルセル・タビュトーマルセル・タビュトー(Marcel Tabuteau、1887年 - 1966年)はフランスのオーボエ奏者。主にアメリカで活動した。 経歴パリ近郊コンピェーニュに生まれ、パリ音楽院でジョルジュ・ジレーに師事、首席で卒業した。 その後アメリカに渡り、ウォルター・ダムロッシュ指揮のニューヨーク交響楽団(後にニューヨーク・フィルハーモニックと合併)を経て1912年からフィラデルフィア管弦楽団(指揮・レオポルド・ストコフスキー)首席オーボエ奏者。またカーティス音楽院教授を兼ねる。 第二次大戦後、パブロ・カザルス指揮のプラード音楽祭、ペルピニァン音楽祭にも数多く出演。1953年に退団してフランスに戻り、個人レッスンやリード材(ケーン)の栽培などに余生を送った。アメリカの殆どのオーボエ奏者が、何らかの形で彼の影響下にあると言われ、名教師として名を残している。 講義記録晩年の1965-1966年にニースの自宅で録音された講義記録がCD化されている。 Boston Records BR1017CD [1] 人物・逸話ストコフスキーと強い信頼関係を持っていたが、後任のオーマンディとは、特に後期には軋轢が生じた。退団の際に今後の楽しみを訊かれ、「これからはオーマンディの指揮で演奏しないで済む事が余生の最大の楽しみ」と公言し、最後のリハーサルの後での挨拶では、皮肉に満ちたスピーチを行なったため、いたたまれなくなったオーマンディが席を外すといったエピソードもある。この二人の齟齬は、タビュトーの後任者であるジョン・デ・ランシーの時代まで引き継がれ、華やかなフィラデルフィア・サウンドの影の部分を物語る経緯である。 アメリカのオーボエ・リード製作への影響オーボエのリードは通常、奏者が自分の好みや主張に従って自作する事が多いが、その際に全体の長さの半分くらいの部分から表皮を削り取り(スクレープ)、残りの部分に手を付けない事が多い。しかし彼は全体の80%ほどにスクレープを施すスタイル(ロング・スクレープ)を好み、門下にも奨励した。その結果、20世紀前半以降、現代のアメリカ圏(カナダやプエルト・リコまで含む)では、このタイプが殆どを占め、「アメリカン・スタイル」として知られている。但し、近年ではヨーロッパ大陸でのスタイルとの折衷や互換性も復活する傾向にある。 |