マルガレーテ・シュタイフ
マルガレーテ・シュタイフ(Margarete Steiff GmbH)は、ドイツの人形メーカーの創業者(1847年7月24日 - 1909年5月9日)およびその名を冠した会社。 主力製品はテディベアで、職人による手作りで作られるため完全に同一のものは存在しない。製品にはボタンとタグが埋め込まれているのが特徴、アンティーク市場ではボタンおよびタグの有無で価値が変わる。 創業者マルガレーテ・シュタイフ手足の障害を乗り越えて1847年7月24日、シュタイフ家の三女として現在の(バーデン=ヴュルテンベルク州ギンゲン)に生まれる[3]。1歳半の時に小児麻痺となり、手足に障害が残る[3]。しかし努力とリハビリにより2人の姉の洋裁の仕事を手伝うようになり、ミシンによる機械化の恩恵もあり、障害のある手先でも洋裁の仕事が出来るようになる[4]。25歳で独立、障害を乗り越えて腕のいい服職人となった彼女に注目したドイツのフェルトメーカー、ハンス・ヘーレン社がフェルトによるペチコートの制作を依頼、ドレスや子供服、日用雑貨などの通信販売を始め、30歳で服飾工房「フェルト・メール・オーダー・カンパニー」を立ち上げ、女性経営者となる[5]。 ぬいぐるみ工房1880年、マルガレーテは姪や甥へのクリスマスプレゼントのためにフェルトで小さな象のぬいぐるみ(世界最初のぬいぐるみとされる[1][2]。大人たちへのプレゼントも作り、そちらの用途は針刺し)を作る[6]。それが町で評判となり、やがて1885年にはヨーロッパで5000体以上の注文を抱える事業となり、ぬいぐるみ製造販売会社「フェルト・トイ・カンパニー」を新たに創業[7]。 テディベア誕生甥リヒャルト・シュタイフと手足をジョイント式にして自由に動かせる熊のぬいぐるみを制作、ライプツィヒの国際見本市に出品するが反応は悪く、売り込みは失敗する[8]。しかしアメリカ人バイヤーの目に止まり3000体の注文を獲得、その後改良を重ね、表情を現在のものに統一、さらに手触りのよいモヘヤとすることで大ヒット[9]。時の大統領、セオドア・ルーズベルトの愛称にちなんで「テディベア」と呼ばれるようになる[10]。 1904年、セントルイス万国博覧会でグランプリ受賞[10]。 晩年1906年、社名を現在の「マルガレーテ・シュタイフ」に変更[11]。1909年5月9日、肺炎により61歳で死去[12]。 会社沿革
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脚注出典
参考資料
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