マリー・ド・ベリー
マリー・ド・ベリー(Marie de Berry, 1375年 - 1434年6月)は、フランス・ヴァロワ朝の王子ベリー公ジャン1世と最初の妃ジャンヌ・ダルマニャック(アルマニャック伯ジャン1世の娘でベルナール7世の叔母)の次女で末子。モンパンシエ伯ジャン2世・ド・ベリーは兄、ボンヌ・ド・ベリーは姉。オーヴェルニュ女公、モンパンシエ女伯。 生涯初めルイ3世・ド・シャティヨンと結婚したが、1391年に死別した。2人の間の子供はなかった。 次いで1393年にウー伯フィリップ・ダルトワと結婚したが、1397年に死別した。2人の間には4子が生まれた。
最後に1400年、ブルボン公ジャン1世と結婚した。2人の間には3子が生まれた。 1416年に父が死去した時、マリーの兄たちは既に亡く子供もいなかったため、父の遺領のうちオーヴェルニュ公領、モンパンシエ伯領などを相続し、夫ブルボン公と共同でオーヴェルニュ女公およびモンパンシエ女伯となった。これらの所領はのちに、ブルボン公との間の息子のうち、夭逝した次男を除く2人に分け与えられた。 しかしブルボン公はその前年、アジャンクールの戦いで捕虜となってイングランドへ送られており、帰国しないまま1434年に死去した。マリーは父の遺領だけでなくブルボン家の家領も代わって統治し、この最後の夫と同じ年に死去した。
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