マリオ・コルナ
マリオ・エステヴェス・コルナ(Mário Esteves Coluna、1935年8月6日 - 2014年2月25日)は、モザンビーク出身の元ポルトガル代表サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(インサイドレフト)[1]。愛称はオ・モンストロ・サグラード(O Monstro Sagrado、聖なる怪物)。 経歴ポルトガル領東アフリカ(現モザンビーク)出身のコルナは、地元のデスポルティーヴォ・ロレンソ・マルケスでのプレーを認められ、1954-55シーズンにポルトガルのベンフィカに加入した。ベンフィカには1969-70シーズンまで在籍し、リーグ優勝10回、カップ優勝6回に貢献した。ヨーロピアンカップでは2度優勝(1960-1961、1961-1962)の後、さらに主将として3度準優勝(1962-1963、1964-1965、1967-1968)した。引退直前の1970-1971シーズンから1971-1972シーズンまではフランスのオリンピック・リヨンに在籍した。 ポルトガル代表としては57試合に出場し8ゴールを挙げる。デビュー戦は1955年5月4日の親善試合スコットランド戦、代表最後の試合は1968年12月11日のFIFAワールドカップ・予選のギリシャ戦である。1966年ワールドカップで3位入賞を果たし「マグリッソス」(en:Magriços)の愛称で知られたチームで主将を務めた。 1975年にモザンビークが独立した後はモザンビークサッカー連盟会長やモザンビーク代表監督を歴任、1994年から1999年まで同国スポーツ相を務めた。 2014年2月25日、呼吸器系の病気のためモザンビークで死去。78歳没[2]。 プレースタイルエレガントで効率的なスタイルのゲームメーカーだったコルナは卓越したキック力でも知られ、1960-61シーズンのヨーロピアンカップ決勝のFCバルセロナ戦では、彼が決めた40メートルのロングシュートが決勝点になった。身体能力も非常に高く、モザンビークでの走り幅跳び記録を持つほどだった[1]。 タイトル
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