マリオン・マック (Marion Mack)の芸名で知られたジョーイ・マリオン・マクリーリー・ルウィン (Joey Marion McCreery Lewyn、1902年 4月8日 - 1989年 5月1日 )は、アメリカ合衆国 の映画女優、脚本家。代表作はバスター・キートン と共演した1926年制作 のサイレント の喜劇映画『キートン将軍 (原題: The General)』である。1928年 に女優業を引退した後は、短編の脚本をいくつか書き、また不動産業を手がけた。
女優として
マックは、ジョーイ・マリオン・マクリーリーとして、ユタ州 マンモス (英語版 ) に生まれた。高校卒業後、彼女は手紙と写真を映画監督 マック・セネット に送り、女優志望であることを伝えた。これに、セネットのマネージャーが、ハリウッド へ来るなら面接の機会を提供するという返信を送った。マクリーリーは、程なくして、父親と継母とともにハリウッドを訪れ、セネットのキーストン・スタジオ に入り込んだ。結局、父親の反対に遭いながらも、マックはセネットに「セネット・ベイジング・ビューティーズ 」の一員として、週給25ドルで雇われることになった[ 1] 。彼女の映画デビュー作は、1921年の映画 『On a Summer Day 』であった[ 2] 。
『キートン将軍』のマックとキートン。
映画に出始めた当初は本名を使っていた。1921年 から1922年 にかけてジャック・ホワイト (英語版 ) 監督のいくつかの短編作品でライジ・コンリー (英語版 ) やジミー・アダムス (英語版 ) と共演した際にはエリナー・リン (Elinor Lynn) という芸名を使った[ 3] 。1923年 の時点で、マリオン・マックという芸名が使われるようになった[ 3] 。
1922年の宣伝用素材に掲載されたジャック・ホワイト(中央上)とマーメイド・コメディーズの俳優たち、(左上から反時計回りに)ドン・バークレー (英語版 ) 、ジャック・ロイド (Jack Lloyd)、ライジ・コンリー 、ジミー・アダムス 、エリナー・リン。
セネットのもとで数本の短編映画に出演した後、キーストーンを離れ、マーメイド・コメディーズ (英語版 ) に週給100ドルで雇われた。マーメイドでは、様々な短編コメディ映画に出演した。また、ユニバーサル の西部劇 にも出演した。1年後には、再びマーメイドに復帰した。
1923年 、脚本にも参加した自伝的映画『女優メリー (原題: Mary of the Movies)』に出演した。この頃には既に「マリオン・マック」という芸名が定着していた。『女優メリー』は、興行的成功を収め、マックは1925年制作 のアクション/犯罪ドラマ映画『One of the Bravest (英語版 ) 』や1926年制作 のドラマ映画『Carnival Girl (英語版 ) 』で主役を務めた。1926年 、南北戦争 を舞台にしたコメディ映画『キートン将軍』で、バスター・キートンが演じる主人公ジョニー・グレイ (Johnnie Gray) が仲違いをしてしまう恋人アナベル・リー (Annabelle Lee) 役を与えられた[ 4] 。この作品は、そこそこの興行成績をあげたが、制作費が巨額であったため収益を上げることはできなかった。マックの最後の映画出演は、1928年の映画 『Alice in Movieland 』であった[ 5] 。
『Alice in Movieland 』出演後、マックは女優業を引退したが、これは映画出演の負担が長期化していったことに耐えかねてのことであった(『キートン将軍』は、オレゴン州 で6か月にわたるロケーション撮影がおこなわれた)。女優を引退した彼女は、脚本家となり、メトロ・ゴールドウィン・メイヤー やワーナー・ブラザース のために短編映画の脚本を書いた。そうした作品は、彼女の夫で映画プロデューサー であったルイス・ルウィン (Louis Lewyn) によって映画化された[ 4] [ 6] 。彼女が脚本を書き、キートンが監督した作品の一つが、1938年制作 の短編映画『Streamlined Swing 』である。
その後
1940年代 に入ると、短編映画の人気は衰え、マックの夫の健康も芳しくなくなっていった[ 5] 。1949年 、彼女は、カリフォルニア州 オレンジ郡 で不動産ブローカーの仕事を始めた[ 5] 。マックは夫とともに、カリフォルニア州コスタメサ に定住した[ 8] 。二人は、ビバリーヒルズ にも邸宅を構え、ルディ・ヴァリー やクララ・ボウ をはじめ、夫婦が映画業界にいた時期の仲間たちとの交際を続けた[ 5] 。
1970年 、映画史家レイモンド・ロウハウアー がコスタメサの自宅にマックがいることを突き止めたが、これは『キートン将軍』の再評価が背景にあった[ 9] 。この作品は、初公開の時点では興行的にも批評的にも成功作ではなかったが、後年になってから再評価が進み、バスター・キートンの最高傑作の一つと評されるまでになっていた[ 5] 。この作品の上映を助ける形で、マックは様々な映画祭における作品上映に出席し、それは心臓を患って旅行が困難になるまで続けられた。1978年 、マックは2回の心筋梗塞 に襲われた[ 9] 。マックは、1980年制作 のテレビ・ドキュメンタリー ・シリーズ『Hollywood 』に出演し、『キートン将軍』の撮影時の経験談を語った[ 5] 。
私生活
マックは、映画プロデューサーだったルイス・ルインと、トーマス・H・インス ・スタジオで開催された美人コンテストに優勝した後に出会った。二人は1923年 に結婚し、一人息子ラニー (Lannie) をもうけた[ 1] [ 10] 。マックとルインは、1969年 にルインが死去するまで添い遂げた[ 5] 。
1989年 5月1日 、マックはカリフォルニア州コスタメサで、心不全 のため、87歳で死去した[ 8] 。マックは密葬された後、ニューポートビーチ のコロナ・デル・マー (英語版 ) にある Pacific View Memorial Park に埋葬された。
おもなフィルモグラフィ
年
題名
配役
注記
1921
On a Summer Day
Farmerette
短編映画、Joey McCreery 名義
1921
名声 / Reputation
Ingenue (stage sequence)
Joey McCreery 名義
1921
The Cowpuncher's Comeback
Betty Thompson
短編映画、Joey McCreery 名義
1923
女優メリー / Mary of the Movies
Mary
シナリオ
1925
One of the Bravest
Sarah Levine
1926
The Carnival Girl
Nannette
1926
キートン将軍 / The General
Annabelle Lee
1928
Alice in Movieland
Alice
1938
Streamlined Swing
–
短編映画、脚本
1940
Alice in Movieland
Well-Wisher at Train Station
クレジットなし
1940
Rodeo Dough
–
短編映画、脚本
1942
Soaring Stars
–
短編映画、脚本
脚注
^ a b “Fans rediscover star of early films” . The Milwaukee Sentinel : p. 8. (September 26, 1979). https://news.google.com/newspapers?nid=1368&dat=19790926&id=PIRRAAAAIBAJ&sjid=BBIEAAAAIBAJ&pg=2625,4809535 [リンク切れ ]
^ Internet Movie Database
^ a b Massa, Steve. Slapstick Divas: The Women of Silent Comedy . BearManor Media. pp. 1653–1654. https://books.google.com/books?id=xtCKDwAAQBAJ&pg=PA1653
^ a b “Marion Mack , 87, Silent-Film Actress, Dies” . The New York Times . (May 15, 1989). オリジナル のJune 17, 2011時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110617023031/http://www.nytimes.com/1989/05/15/obituaries/marion-mack-87-silent-film-actress-dies.html
^ a b c d e f g Vanderknyff, Rick (November 15, 1987). “Marion Mack—the Girl in Buster Keaton's Epic” . Los Angeles Times : p. 2. https://articles.latimes.com/1987-11-15/entertainment/ca-20962_1_mabel-normand/2
^ O'Brien, Mike (August 16, 1973). “Leading Lady Recalls Buster” . Eugene Register-Guard : p. 6C. https://news.google.com/newspapers?nid=1310&dat=19730816&id=h-ZVAAAAIBAJ&sjid=OuEDAAAAIBAJ&pg=6659,3980054
^ a b “Silent-movie Actress Marion Mack Dead at 87” . Bangor Daily News : p. 7. (May 15, 1989). https://news.google.com/newspapers?nid=2457&dat=19890515&id=BaxJAAAAIBAJ&sjid=dw4NAAAAIBAJ&pg=3744,5429181
^ a b “Fans rediscover star of early films” . The Milwaukee Sentinel : p. 6. (September 26, 1979). https://news.google.com/newspapers?nid=1368&dat=19790926&id=PIRRAAAAIBAJ&sjid=BBIEAAAAIBAJ&pg=2625,4809535 [リンク切れ ]
^ Vanderknyff, Rick (May 14, 1989). “Marion Mack; Keaton Co-Star in 'The General'” . Los Angeles Times . https://articles.latimes.com/1989-05-14/news/mn-441_1_film-collector-raymond-rohauer-marion-mack-miss-mack
参考文献
Sweeney, Kevin W., ed (2007). Buster Keaton: Interviews . University Press of Mississippi. ISBN 978-1-57806-962-0
外部リンク