マフムード・ハンマフムード・ハン・ビン・クチュク(ペルシア語: محمود بن کوچک、1459年以前 - 1460年代/1470年代没)は、ジョチ・ウルス最後の政権である大オルダのハン(在位:1459年 - 1465年)。大オルダのハンであるクチュク・ムハンマドの息子[1]。 生涯ロシアの年代記には記載されず、アストラハンで鋳造した硬貨にも「ティムール・ハンの息子であるムハンマド・ハンの息子であるマフムード・ハン」と記されているだけで鋳造年がなかったという[1]。 1465年、弟のアフマド・ハンに反乱を起こされ、権力を奪取された。 後に息子のカーシム・ハン1世[2]がアストラハン・ハン国を建国した。 脚注
参考文献
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