マドレーヌ・ボーダロ
マドレーヌ・メアリー・ゼイエン・ボーダロ(英語: Madeleine Mary Zeien Bordallo, 1933年5月31日 - )は、アメリカ合衆国・グアムの政治家。 第2代・第4代グアム準州知事リカルド・ボーダロの妻として準州知事のファーストレディを務めた。夫の没後、女性初のグアム準州副知事に就任。その後、グアム準州選出のアメリカ合衆国下院代議員(通算8期)となった。グアム準州選挙区において、女性初かつ非チャモロ人初の米下院議員であり、2021年現在最も長い任期を務めた議員である[1]。 経歴・人物1933年5月31日、ミネソタ州・ビッグストーン郡のグレースビルで生まれた。インディアナ州ノートルダムのセントマリー大学とミネソタ州セントポールのセント・カタリナ大学で音楽を学んだ。1950年代から1960年代にかけて、グアムのテレビ局KUAM-TVで司会者を務めていた[2]。 1953年、リカルド・ボーダロと結婚。夫リカルドは1975年から1979年、1983年から1987年までグアム準州知事を務め、マドレーヌはファーストレディとして、チャモロ文化の普及活動などを行った。1990年、リカルドは汚職容疑で有罪判決を受けるが、投獄前夜に自殺した[3]。 マドレーヌは同年行われた準州知事選挙に出馬。副知事にピン・ドゥエナス準州議員を指名したが落選した[4]。 1994年、民主党からカール・グティエレスの副知事候補として出馬。当選を果たし、1995年から2002年までグアム副知事を務めた。女性が副知事に就任するのは史上初のことであった。 アメリカ下院議員として選挙2002年、ロバート・A・アンダーウッドアメリカ下院代議員が、知事選への出馬を表明。マドレーヌは民主党員として下院議員に立候補し、当選。以後、グアム選挙区初の女性代議員として、2003年1月から2019年1月まで連続8期の任期を務めた。 2018年8月の民主党予備選でマドレーヌはニコラスに破れ、選挙を撤退した[5]。 不祥事2008年4月、パシフィック・デイリー・ニュースの報道で、マドレーヌは以前からセント・カタリナ大学で准学士号を取得したとしていたが、実際には取得していなかったことが明らかになった。マドレーヌは公式プロフィールを訂正した上、謝罪した[6]。 所属委員会 (第115議会)2017年から2019年の間に開催された第115議会における所属委員会を以下に挙げる。
所属する議員連盟 (第115議会)2017年から2019年の間に開催された第115議会において所属した議員連盟を以下に挙げる。
関連項目参考文献
外部リンク
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