マッターホルン・ゴッタルド鉄道HGe4/4 II形/ツェントラル鉄道HGe101形電気機関車マッターホルン・ゴッタルド鉄道HGe4/4II形電気機関車(マッターホルン・ゴッタルドてつどうHGe4/4IIがたでんききかんしゃ)は、スイス南部の私鉄であるマッターホルン・ゴッタルド鉄道(Matterhorn-Gotthard-Bahn (MGB))で使用されている山岳鉄道用ラック式電気機関車である。同型のツェントラル鉄道HGe101形電気機関車(ツェントラルてつどうHGe101がたでんききかんしゃ)がスイス中央部の私鉄であるツェントラル鉄道(Zentralbahn (ZB))で使用されている。 概要1970--80年代のスイスにおいて中形のラック式電気機関車を使用していた鉄道のうち、スイス連邦鉄道 (スイス国鉄)[1]の唯一の1m軌間の路線であるブリューニック線では、主力となっていた1941年製の16機のDeh4/6形(後のDeh120形)荷物電車の経年が進んできたことと、HGe4/4I形電気機関車(後のHGe100形)2機が駆動装置の不調により十分な性能を発揮できていなかったことから輸送量の増加と粘着区間での速度向上が可能となる新しい機関車の検討を1970年代より継続していた。また、同様にフルカ・オーバーアルプ鉄道[2]でも1982年のフルカベーストンネルの開通によって見込まれる輸送量の増大と速度向上に対応でき、経年が進んでいた上に粘着区間での最高速度が低い1940-1956年製のHGe4/4I形電気機関車の代替となる機関車の検討をしていた。当時両鉄道で運行されていたHGe4/4I形はともに車軸配置Bozz'Bozz'で、2軸ボギー台車の各軸に主電動機1基ずつを装備して、動輪と動軸に滑合されたラック区間用ピニオンを同じ主電動機・駆動装置で駆動する方式であった。この方式は1905年以降、小出力の電車を手始めに次第に大出力の電気機関車にも採用されるようになった方式であり、構造が単純で小型化もできることから現在でもスイス製のラック式電車では最も実績のある方式となっている[3]。 一方でこの方式は直径の異なる動輪とピニオンが歯車を介して機械的に接続され、動輪のタイヤが1/2摩耗した際に動輪とピニオンの周速が一致するよう歯車比が設定されるものであるため、大出力の機体では動輪径によっては周速の差による駆動装置への負担が大きくなり、結果として定格出力1700kWのスイス国鉄HGe4/4I形では駆動装置の不調により2機のみの製造で、運用も限られるものとなるに至っていた。また、同じく動輪とピニオンが常時接続される構造上、粘着区間での最高速度が小出力の電車で60-70km/h程度、大出力の電気機関車では50km/h台に制限される一方で、電気機関車が運用される本線系の路線ではラック区間の距離に比べて粘着区間の距離の比率が高いこともあってダイヤ編成・運用上のネックとなり、特に粘着区間に平坦線が多い上に、粘着式とラック式の駆動装置を別個に装備し[4]、最高速度75km/hを発揮するDeh4/6形を運行していたブリューニック線ではその問題が顕著であった。 そのような状況のもと、スイス国鉄1978-80年に新しいラック区間用電気機関車とそれによる運行の基礎計画をとりまとめ、そこにフルカ・オーバーアルプ鉄道と、ブリューニック線と接続するルツェルン-スタンス-エンゲルベルク鉄道[5]、フルカ・オーバーアルプ鉄道と接続し、1929-39年に製造されたHGe4/4形6機を運行していたブリーク-フィスプ-ツェルマット鉄道[6]が加わり、BAV[7]が取りまとめる形で"プロジェクトHGe4/4 II"が発足し、車体、機械部分、台車の製造をSLM[8]、電機部分、主電動機の製造をBBC[9]が担当することとして開発が進められた。このプロジェクトによりまとめられた新しいHGe4/4II形の基本的な開発要件は以下の通りであった。
また、本形式では従来の機体における駆動装置の問題を解決し、上記の性能要件を満足するために、SLMが新たに開発した粘着/ラック式の駆動装置が採用されることとなった。これは従来の機体の駆動装置と同じく1基の主電動機で動輪とピニオン各1軸ずつを駆動するものであるが、動輪とピニオン間に遊星歯車機構を使用した差動装置を装備してそれぞれの周速の差を吸収するとともに、粘着区間では90/100km/h(マッターホルン・ゴッタルド鉄道機/ツェントラル鉄道機)の最高速度を可能とするものとなっている。また、電機機器は同じ1980年代のスイス国鉄の標準軌用の機体と同様のサイリスタ位相制御を採用しており、1時間定格出力1932kW、牽引力150kN、最大牽引力230kN/280kN(粘着区間/ラック区間)を発揮して、最大勾配120パーミルで120tの列車を牽引可能な性能を確保している。 本形式は1985年に試作機が5機、1989-90年に量産機が16機製造されている。まず1983年2月22日にスイス国鉄が21.9百万スイス・フランで試作機4機を発注しており、HGe4/4II 1951-1954号機となる予定であったが、その後このうち2機をフルカ・オーバーアルプ鉄道に振り分けるとともに同鉄道向けに1機を追加しており、最終的には計5機の試作機が以下の条件のもと製造されている。
なお、最初の発注当初の計画では、運転台が左側運転台でマスターコントローラーは運転席左側に縦軸式のものを配置していたほか、屋根肩部の冷却吸気口が少ない、車体のボルスタアンカ受の位置と形状が異なるなどの差異があり、これらは発注後に設計変更されている。5機の試作機は1985-86年に予定通りに配属され、それぞれスイス国鉄HGe4/4II 1951-1952号機、フルカ・オーバーアルプ鉄道HGe4/4II 101-103号機として運用されている。その後1986年に発注された16機の量産機が1989-90年に導入され、試作機と同形の機体3機がフルカ・オーバーアルプ鉄道、5機がブリーク-フィスプ-ツェルマット鉄道に配属となってそれぞれHGe4/4II 106-108号機、HGe4/4II 1-5号機となったほか、若干の変更を行った機体8機がスイス国鉄ブリューニック線に配属されてHGe101 961-968号機となっている(なお、スイス国鉄の機体は称号改正によってHGe4/4II形からHGe101形に変更となり、機番も当初1961-1968号機となる予定であったものが961-968号機に変更されたものである)。また、量産機の導入と同時に、当初の予定通りスイス国鉄の試作機のHGe4/4II 1951および1952号機の2機がフルカ・オーバーアルプ鉄道へ転籍してHGe4/4II 104および105号機となっているが、その際に架線電圧やラックレール方式の違いのためスイス国鉄仕様となっていた主変圧器と台車/駆動装置を新造したフルカ・オーバーアルプ鉄道仕様のものに交換し、旧来のものをスイス国鉄の量産機に転用しているほか、連結器、電気連結器もフルカ・オーバーアルプ鉄道仕様に改造している。 なお、その後2000年以降のスイスの鉄道の再編の中で2003年1月1日にフルカ・オーバーアルプ鉄道とブリーク-フィスプ-ツェルマット鉄道の後身のBVZツェルマット鉄道[10]が合併してマッターホルン・ゴッタルド鉄道となり、2005年1月1日にはブリューニック線がルツェルン-スタンス-エンゲルベルク鉄道に移管されて同時にツェントラル鉄道に改称し、フルカ・オーバーアルプ鉄道機とブリーク-フィスプ-ツェルマット鉄道機は全機マッターホルン・ゴッタルド鉄道HGe4/4II 1-5および101-108号機に、スイス国鉄機はツェントラル鉄道HGe101 961-968号機となって現在に至っている。それぞれの機番とSLM製番、製造年、機体名は下記のとおりで、各機体には沿線の都市や山、峠の名前が付けられており、都市名を持つ機体にはその都市の紋章が機体に設置されている。また、富士急行との姉妹鉄道である旧ブリーク-フィスプ-ツェルマット鉄道の5号機はMount Fujiと名づけられ、"マウント 富士号"と書かれたプレートをつけている[11]。
仕様車体
走行機器
電気機器
主要諸元
両機種共通
運行マッターホルン・ゴッタルド鉄道
ツェントラル鉄道
脚注
参考文献
関連項目 |