マッサフラ

マッサフラ
Massafra
マッサフラの風景
行政
イタリアの旗 イタリア
プッリャ州の旗 プッリャ
県/大都市 ターラント
CAP(郵便番号) 74016
市外局番 099
ISTATコード 073015
識別コード F027
分離集落 #分離集落参照
隣接コムーネ #隣接コムーネ参照
地震分類 zona 3 (sismicità bassa)
気候分類 zona C, 1123 GG
公式サイト リンク
人口
人口 32,772 [1](2019-01-01)
人口密度 261.1 人/km2
文化
住民の呼称 massafresi
守護聖人 Madonna della Scala,
祝祭日 2月20日
地理
座標 北緯40度35分 東経17度07分 / 北緯40.583度 東経17.117度 / 40.583; 17.117座標: 北緯40度35分 東経17度07分 / 北緯40.583度 東経17.117度 / 40.583; 17.117
標高 110 (0 - 480)[2] m
面積 125.52 [3] km2
マッサフラの位置(イタリア内)
マッサフラ
マッサフラの位置
ターラント県におけるコムーネの領域
ターラント県におけるコムーネの領域
イタリアの旗 ポータル イタリア
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マッサフライタリア語: Massafra)は、イタリア共和国プッリャ州ターラント県にある、人口約3万3000人の基礎自治体コムーネ)。

県内では、県都ターラントマルティーナ・フランカに次ぎ、グロッターリエとほぼ同規模のコムーネ人口を有する(2013年1月の統計では第3位)。

地理

位置・広がり

ターラント県中部のコムーネ。県都ターラントから北西へ約18km、マテーラから東南東へ約44km、州都バーリから南南東へ約62kmの距離にある[4]

ターラント県概略図

隣接コムーネ

隣接するコムーネは以下の通り。

歴史

仮説のひとつによれば[5]、マッサフラは5世紀に、ヴァンダル族の侵入によってアフリカを追われたローマ人によって建設されたという。

都市の名が史料に登場するのは10世紀以後のことで、ロンバルド王国の代官(ガスタルド) (Gastaldの管轄地であった。ノルマン人南イタリアを征服すると、マッサフラはロベルト・イル・グイスカルドの甥に与えられた。彼はマッサフラの城 (Castle of Massafraを修築し、要塞化した。その後、タラント公国 (Principality of Tarantoの一部に含まれ、自由都市として1463年まで属していた。

この都市は1484年に Antonio Piscitello に与えられる。1497年にはフランス王シャルル8世の軍勢による略奪を受けた(イタリア戦争)。領主権はArtusio Pappacodaに譲られ、その一族は1世紀半にわたって当地を所有した。

行政

分離集落

マッサフラには、以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。

  • Cernera, Chiatona, Citignano, Marina di Ferrara, Masseria Canonico, Masseria Famosa, Masseria Ginestra, Masseria Piccoli, Masseria Pizziferro, Masseria San Sergio, Parco di Guerra, Quartiere Belvedere

文化・観光

新石器時代から中世盛期にかけての洞窟住居がある。

脚注

  1. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Total Resident Population on 1st January 2019 by sex and marital status” (英語). 2019年9月16日閲覧。
  2. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Popolazione residente - Taranto (dettaglio loc. abitate) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2014年6月7日閲覧。
  3. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Superficie territoriale (Kmq) - Taranto (dettaglio comunale) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2014年6月7日閲覧。
  4. ^ 2点間の直線距離を測る”. 2014年6月8日閲覧。
  5. ^ Giuseppe Blandamura, Choerades Insulae, Taranto, Tipografia Arcivescovile, 1925.

外部リンク