マザー・ラヴ・ボーン
マザー・ラヴ・ボーン(英語: Mother Love Bone)は、アメリカのロックバンド。1988年にシアトルで結成され、グランジシーン黎明期において人気を獲得しつつあったが、アルバムリリース直前にフロントマンのアンドリュー・ウッドがヘロインのオーバードースにより24歳で死去し、解散を余儀なくされた。 略歴バンド結成1988年に元グリーン・リヴァーのジェフ・アメン(ベース)、ブルース・フェアウェザー(リードギター)、ストーン・ゴッサード(リズムギター)、元マルファンクションのアンドリュー・ウッド(ボーカル、ピアノ)、元10ミニット・ウォーニング/スキン・ヤードのグレッグ・ギルモア(ドラムス)の5人で結成。結成直後からレコーディングとライヴを活発に行い、特にヴォーカリストであるウッドのアグレッシヴなライヴパフォーマンス、奇抜な衣装、または夢想的な歌詞などで、シアトルで将来を期待されるバンドの一つとして注目を集めた[1]。 デビューとウッドの死による解散1988年11月にポリグラムとレコード契約を果たし、ポリグラムはバンド専用のレーベルであるスタードッグを創設した。1989年3月にデビューEP『Shine』をリリース。9月からフルアルバムの制作に取り掛かり11月にレコーディングが完了。1stアルバム『アップル』は翌1990年3月にリリース予定だったが、発売予定日の数日前に、長年ドラッグ使用の問題を抱えていたウッドがヘロインのオーバードースにより脳死状態に陥る[2]。ウッドは病院の延命治療を受けたが、脳死から2日後に家族と友人に看取られながら3月19日に死去した。24歳没。ウッドの死によりマザー・ラヴ・ボーンも解散し、唯一のアルバム『アップル』は同年7月にリリースされた。 バンド解散後ウッドの死から数ヵ月後、アメンとゴッサードはウッドのルームメイトであり友人であったサウンドガーデンのクリス・コーネルを誘い、ウッドへのトリビュート・バンドであるテンプル・オブ・ザ・ドッグを結成。1991年4月に唯一のアルバム『テンプル・オブ・ザ・ドッグ』をリリースし全米5位を獲得。同作はプラチナディスクに認定された。アメンとゴッサードは1990年にパール・ジャムを結成しグランジシーンを代表するバンドとして大きな成功を収めた。結成から四半世紀が経った現在も第一線で活動を行っている。 フェアウェザーはウッドの死後しばらくは音楽活動から身を退いていたが、1992年にラヴ・バッテリーの新ベーシストとして加入、2枚のアルバム制作に参加した。2006年には新バンドThe Press Corpsを結成した。 ギルモアも解散後は活動を停止していたが、1992年にChubby Childrenでドラムを叩いた。その後もジャック・エンディノとのコラボレーションなどで活動した。 メンバー
作品アルバム
コンピレーション・アルバム
EP
シングル
ビデオ
脚注
|