第7代オンズロー伯爵 マイケル・ウィリアム・コープルストン・ダイロン・オンズロー (英語 : Michael William Coplestone Dillon Onslow, 7th Earl of Onslow 、1938年 2月28日 - 2011年 5月14日 )はイギリスの貴族 、保守党 の政治家 。1945年から1971年にかけてクランリー子爵 の儀礼称号 を用いた。
生涯
第6代オンズロー伯爵ウィリアム・オンズロー (英語版 ) とパメラ・ディロン (英語版 ) (Pamela Dillon、1915年8月26日 - 1992年没、第19代ディロン子爵 (英語版 ) の娘)との嫡男として生まれた[ 1] 。イートン校 に学んだのち、ソルボンヌ大学 へ進学した[ 2] 。
1971年に父の死去によりオンズロー伯爵を継承するとともに保守党 所属の貴族院 議員に列した[ 1] 。彼は漸進的な貴族院の改革を支持していたが、労働党 の主張する改革には反対していた[ 3] 。そのため、ブレア 首相率いる労働党政権が貴族院法 制定を推進しようとした際は貴族院による遅滞戦術を肯定、賛同の意を表した[ 註釈 1] [ 4] 。ただし、同法成立後は皮肉にも貴族院に籍を置く92人の世襲貴族 枠に選ばれたため、引き続いて同院議員を務めている[ 5] 。
マイケルはブレア内閣による大法官府の改革にも異を唱え、「首相は800年の歴史を持つ大法官 職を台無しにしている」と述べて批判している[ 註釈 2] [ 6] 。その後の第1次キャメロン内閣 による緩やかな貴族院改革には賛成したが、同政権の策定した議会任期固定法案 に対しては反対した[ 7] [ 8] 。
2005年7月には人権共同委員会 (英語版 ) 委員に就任して、その死まで同職を務めた[ 9] 。その兼ね合いから、ジャッキー・スミス 内相の主導するテロ容疑者を42日間拘留する法案には強硬に反対した[ 10] 。またイングランド国教会 の近代化に関しては反対派であった[ 11] 。
晩年はガンとの闘病を経たのち、2011年5月14日に73歳で死去した[ 1] [ 12] 。
家族
1964年7月17日にロビン・リンゼイ・バラード(Robin Lindsay Bullard、ロバート・バラードの娘)と結婚して、一男二女をもうけた[ 1] 。
脚注
註釈
^ 彼は『(当時審議中の)スコットランド法案 の各条項に分割審議を強いることができて嬉しく思う。各審議には20分を要し、270以上の条項があるのだから』と発言している。
^ ブレア内閣は改革の一環としてまず大法官府を廃止し、2005年 には貴族院議長 職と連合王国最高裁判所 を設置して、大法官の立法権及び司法権に関する地位と権限を喪わしめた。
出典
^ a b c d “Onslow, Earl of (UK, 1801) ”. www.cracroftspeerage.co.uk . 2020年5月4日 閲覧。
^ Margalit Fox (21 May 2011). “Lord Onslow, a Peer by Birth and Contrarian by Nature, Dies at 73” . The New York Times . https://www.nytimes.com/2011/05/22/world/europe/22earl.html?ref=obituaries
^ Profile of Michael Onslow, 7th Earl of Onslow , The Guardian , 26 November 2003.
^ Sewell, Dennis (16 October 1998). “Matrix of Power; Lords Reform” . BBC News (London: British Broadcasting Corporation ). http://news.bbc.co.uk/1/hi/special_report/1998/10/98/matrix/179548.stm 19 May 2008 閲覧。
^ 'The Earl of Onslow: Colourful hereditary peer who advocated reform of the House of Lords' , John Barnes, The Independent , 1 June 2011. Retrieved 14 September 2013.
^ “Thousand years of history 'torn up'” (英語). (2003年6月12日). http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/politics/2985924.stm 2020年4月28日 閲覧。
^ Onslow, Earl of (2003年11月26日). “Earl of Onslow: I am an advert for reform” (英語). The Guardian . ISSN 0261-3077 . https://www.theguardian.com/politics/2003/nov/26/constitution.lords 2020年4月29日 閲覧。
^ White, Michael (2011年5月22日). “The Earl of Onslow obituary” (英語). The Guardian . ISSN 0261-3077 . https://www.theguardian.com/politics/2011/may/22/the-earl-of-onslow-obituary 2020年4月29日 閲覧。
^ JCHR , UK Parliament website
^ “Smith attacked over 42-day speech ”. BBC News (2008年10月28日). 2020年4月26日 閲覧。
^ “The Turbulent Priest - Charles C. W. Cooke - National Review Online ”. web.archive.org (2012年3月21日). 2020年5月4日 閲覧。
^ Notice of death of the 7th Earl of Onslow
外部リンク