マイク・ラトリッジ
マイク・ラトリッジ(Mike Ratledge、1943年5月6日 - )は、イングランド出身のミュージシャン、鍵盤奏者。ロックバンド「ソフト・マシーン」のオリジナル・メンバー。 略歴ラトリッジはケント州メードストンで生まれた。子供の頃、両親の家で演奏された唯一の種類の音楽であるクラシック音楽の教育を受けた。彼はピアノを弾くことを学び、カンタベリーにあるサイモン・ラングトン・グラマースクール・フォー・ボーイズで出会った友人のブライアン・ホッパーと一緒に、クラシック・ピアノやクラリネットの作品を弾くようになった[1]。 ラトリッジはまた、ブライアンの弟のヒュー・ホッパーとロバート・ワイアットに出会った。1961年には、ジャズ演奏に興味を持ったデヴィッド・アレンとも出会うこととなる。セシル・テイラーのピアノ曲を通じて、ラトリッジはセロニアス・モンク、マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーンの音楽に親しむようになっていった。1963年、彼はデヴィッド・アレン・トリオで演奏を行った。友人たちとは異なり、ラトリッジは勉学をさらに進めたいと考え、後に心理学と哲学の学位を取得するオックスフォードのユニバーシティ・カレッジで学んだ[1][2]。 同時に、彼は音楽の授業にも出席し、アヴァンギャルドなミュージシャンのマル・ディーンとラブ・スポールによる指導を受けた。卒業後、ラトリッジはアメリカの大学への進学を希望していたが、奨学金の申請が遅すぎたため行くことができなかった[2]。 1966年、友人たちが新しいバンドを結成し、ラトリッジに参加を依頼した。そのバンド、ソフト・マシーンは、ロバート・ワイアット、デヴィッド・アレン、およびケヴィン・エアーズをフィーチャーしていた。その後、数年間に数多くのメンバー・チェンジを経ることとなるが、1973年まで、ラトリッジはオリジナル・ラインナップの唯一の生き残りメンバーとなった[2]。 1973年11月に、ラトリッジはマイク・オールドフィールドがBBCのために行った「チューブラー・ベルズ」の生演奏に参加した[3]。1976年、ラトリッジはソフト・マシーンを離れてソロのキャリアを築き、ソフト・マシーンはカール・ジェンキンスの管理下に置くこととした。ラトリッジは彼自身のスタジオをつくったが、ソロ・アルバムは決して発表されなかった。彼は『Riddles of the Sphinx』(1977年)[4]、『Crystal Gazing』(1982年)[5]、そしてローラ・マルヴェ監督の『The Bad Sister』(1983年)[6]のためのフィルム・スコアを提供した。 ソフト・マシーンの最古参メンバーとして、彼はバンドのサイケデリック・ロック期からジャズ・ロック期への音楽的方向の変化の一部を担った。1980年代に、ラトリッジはコマーシャルおよび劇場のための音楽の作曲家、そして音楽プロデューサーとして活動的になっていった。1995年に、アディエマス(ラトリッジ、カール・ジェンキンスおよびミリアム・ストックリー)は、ラトリッジがカール・ジェンキンスと共同制作し、そのために電子パーカッションをプログラムした『聖なる海の歌声』を発売した[1]。 2010年には、もともと1980年代初頭に発表されていたマイク・ラトリッジとカール・ジェンキンスのストック・ミュージック・ライブラリであるアルバム『Some Shufflin』と『Movement』が、CDで再発された。 私生活ラトリッジは、1967年4月15日にマーシャ・ハントと結婚した[2]。 ディスコグラフィソフト・マシーン→詳細は「ソフト・マシーン § ディスコグラフィ」を参照
リーダー・アルバム
参加アルバム
脚注
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