ポート・ロイヤル

ポート・ロイヤル

Port Royal
昔のポート・ロイヤル
昔のポート・ロイヤル
ポート・ロイヤルの位置(ジャマイカ内)
ポート・ロイヤル
ポート・ロイヤル
座標:北緯17度56分02秒 西経76度50分29秒 / 北緯17.933771度 西経76.841364度 / 17.933771; -76.841364座標: 北緯17度56分02秒 西経76度50分29秒 / 北緯17.933771度 西経76.841364度 / 17.933771; -76.841364
ジャマイカの旗 ジャマイカ
教区 キングストン教区
発見 1518年
ポート・ロイヤル一帯の海岸線の変遷
震災前(赤)と震災後(青)・黒線は現在の海岸線

ポート・ロイヤル(Port Royal)は、17世紀ジャマイカ海運業の中心地。現在の首都キングストンの沖合にある。

ジャマイカはパナマ地峡キューバなどの中間点にあり、カリブ海の貿易にとって理想的な位置にあった。1655年に行われたスペインイングランドの小戦争によりポート・ロイヤル湾の入り口の城塞をイングランドが奪取し、その後入植が行われた。1670年のマドリード条約によってスペインがイングランドのジャマイカ支配を正式に認めるまでは、同地は係争地域であったが防衛のための海軍力は無きに等しく、これを補うため、ジャマイカ総督トマス・モディフォード英語版は、主にスペイン船を襲っていた通称バッカニアと呼ばれる海賊たちに私掠免許を与えて積極的に公認し、ポート・ロイヤルを拠点とすることも推奨した。イングランド出身のヘンリー・モーガンは特に著名なバッカニアの一人であり、後にはジャマイカの副総督にまで出世している。こうしてポート・ロイヤルは当時の主要な海賊の拠点の1つとして、彼らが奪った宝物を持ち寄り、また同地で消費することで発展を遂げ、「世界で最も豊かで最もひどい町」の両方の名声を得た。しかし、マドリード条約後は、公式にはスペイン船に対する略奪は認められないようになり、海賊行為も取り締まられるようになってバッカニアは衰退する。

1692年6月7日に大地震が発生し、街は大きな被害を受けて3分の2が海に沈んだ(ジャマイカ大地震 (1692年)英語版)。この惨事の後、商業の中心地はキングストンに移される。

沈没船から中国の財宝などが発見されており、当時の繁栄が解明されつつある。

ポート・ロイヤル一帯にはキー砂洲マングローブラグーン島嶼サンゴ礁海草藻場浅瀬など様々な地形があり、アメリカワニアオウミガメタイマイアメリカマナティーハンドウイルカなどが生息している。2005年にラムサール条約登録地となった[1]

ウォルト・ディズニー製作のファンタジー映画『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』(2003年)の始まりの場所となったことで知られる。

脚注

  1. ^ Palisadoes - Port Royal | Ramsar Sites Information Service”. rsis.ramsar.org (2005年4月22日). 2023年4月9日閲覧。

参考文献

  • ランドール・ササキ『沈没船が教える世界史』メディアファクトリー、2010年。ISBN 9784840136648 
  • 若尾祐司『歴史の場―史跡・記念碑・記憶』ミネルヴァ書房、2010年。ISBN 9784623057344 

関連項目

外部リンク