ポートマン子爵 Viscount Portman
紋章記述
Arms :Quarterly: 1st and 4th, Or a Fleurs-de-lis Azure (Portman); 2nd and 3rd, Gules a Chevron Ermine between ten Crosses Patée Argent six in chief and four in base (Berkeley) Crests :1st: a Talbot sejant Or; 2nd: a Unicorn passant Gules armed and crined Or Supporters :Dexter: a Savage wreathed about the head and waist with Ivy in his dexter hand a Club resting on the shoulder proper; Sinister: a Talbot Or
創設時期 1878年 3月23日 創設者 ヴィクトリア 貴族 連合王国貴族 初代 初代子爵エドワード・ポートマン (英語版 ) 現所有者 10代子爵クリストファー・ポートマン (英語版 ) 相続人 ルーク・ポートマン閣下 付随称号 ポートマン男爵 現況 存続 モットー 清き心と快活な精神 (A Clean Heart and a Cheerful Spirit))
ポートマン子爵 (英:Viscount Portman )は、イギリスの子爵 、貴族。連合王国貴族 。資産家エドワード・ポートマン (英語版 ) が1873年 に叙されたことに始まる。
ポートマン家はロンドン の一等地メリルボーン (オックスフォード街 やベイカー街 周辺)を地所に持ち、英国長者番付にその名を連ねる一族である。
歴史
メリルボーンとポートマン家
一族の地所メリルボーン地区を描いた19世紀の地図。
ポートマン家の祖サー・ウィリアム・ポートマン (英語版 ) (?-1557) は、ヘンリー8世 の御世に控訴院 主席判事 (英語版 ) を務めた法曹家である[ 1] 。彼は1554年に270エーカー[ 註釈 1] に及ぶ敷地(現在のロンドン の一等地メリルボーン地区 )を購入、同地はロンドンとともに発展し、子孫も巧みに土地開発を行った[ 2] [ 3] 。ゆえに、同家は現在でも英国屈指の資産家である[ 4] 。
その孫ジョン(?-1612) は1611年にイングランド準男爵位の(サマセット州オーチャード・ポートマンの)準男爵 (英語版 ) (Baronet, of Orchard Portman in the County of Somerset) を授けられている[ 5] 。
しかし、彼の孫にあたる6代準男爵ウィリアム(1641-1690?) が嗣子なく死去すると、この準男爵位は断絶した[ 6] 。
一方で、その所領と財産はウィリアムの甥にあたるヘンリー・シーモア(?-1728) に相続された[ 6] 。ヘンリーはベリー・ポメロイのシーモア準男爵家 (英語版 ) 五男坊であり、彼の妻アンは初代準男爵サー・ジョン・ポートマンの次女にあたる[ 註釈 2] [ 6] 。彼はその後ポートマン姓に改姓している[ 6] 。しかし彼には子供がいなかったため、その死後はいとこにあたるウィリアム・バークリー(?-1737) が地所と財産を承継するとともに、彼もまたポートマン姓を父称した。
その子ヘンリー・ポートマン(生没年未詳) の代になると、メリルボーンは農地から住宅地へと急速に変貌を遂げていく[ 2] 。ヘンリーは特に開発に辣腕を発揮した人物で、ポートマン・エステート (英語版 ) を設立して巧みに中流階級 や労働者層向けの住宅建設を行い、現在の資産家ポートマン家の礎を築いている[ 2] [ 3] 。
ポートマン家、英国貴族となる
その子エドワード・ポートマン(1799-1888) は1837年 にサマセット州オーチャード・ポートマンにおけるポートマン男爵 (Baron Portman, of Orchard Portman in the County of Somerset) に叙されて、ポートマン家は英国貴族となった[ 7] [ 8] [ 9] 。さらに、その晩年の1873年 にもドーセット州ブライアンストンのポートマン子爵 (Viscount Portman, of Bryanston in the County of Dorset) を授けられている[ 7] [ 8] [ 10] 。いずれの爵位も連合王国貴族 爵位である[ 7] 。
その息子である2代子爵ヘンリー(1829-1919) の頃になると、一族はオックスフォード街やベイカー街周辺の開発を積極的に進めている[ 2] 。
その後、3代子爵ヘンリー(1860-1923) には子がなかったため、爵位は弟クロード、その息子エドワードの順で継承された[ 7] 。
その5代子爵エドワード(1898-1942) が没すると、叔父シーモア、その弟ジェラルド、同名の息子ジェラルドの順で僅か6年の内に3回も代替わりしている[ 7] 。
しかし、8代子爵ジェラルド(1903-1967) にも子供はおらず、爵位は甥のエドワード・ヘンリーが継いでおり、これ以降は彼の系統で現在に至っている[ 7] 。
現在のポートマン家
オックスフォード街に面する老舗百貨店 、セルフリッジズ 。
現当主である10代子爵クリストファー(1958-) は1999年 の貴族院改革 以後も貴族院 に籍を置く92人の世襲貴族 の一人である。また、彼は貸し出していた物件を一気に買い戻したのち、8000万ポンド(約107億円)をつぎ込んで再開発を行った[ 2] 。そのため、同地の地価は毎年上昇傾向にあり、ポートマン・エステートの推定資産は約20億ポンド(約2846億円)にも上るという[ 2] 。
なお、ドーセット州 ブライアンストン (英語版 ) に位置する旧邸宅ブライアンストン・ハウス(Bryanston House) は、その敷地や建物は私立校ブライアンストン・スクール として利用されている。
一族と爵位にかかるモットーは『清き心と快活な精神(A Clean Heart and a Cheerful Spirit)』[ 7] 。
現当主の保有爵位
現当主である第10代ポートマン子爵クリストファー・エドワード・バークリー・ポートマン (英語版 ) は以下の爵位を保有している[ 7] 。
第10代ポートマン子爵 (10th Viscount Portman) (1878年 3月23日 の勅許状のよる連合王国貴族 爵位)
第10代サマセット州オーチャード・ポートマンにおけるポートマン男爵 (10th Baron Portman, of Orchard Portman in the County of Somerset) (1837年 1月27日 の勅許状による連合王国貴族爵位)
ポートマン子爵 (1873年)
2代子爵を描いたカリカチュア 。
法定推定相続 人は現当主の息子であるルーク・ヘンリーオリヴァー・リチャード・バークリー・ポートマン閣下(1984-)[ 11]
系譜図
脚注
註釈
^ 尺貫法 に換算すると、約32万坪。
^ なお、ベリー・ポメロイのシーモア準男爵家は親族から序列第二位の英国爵位サマセット公爵 を継承して、現在に至っている。
出典
^ Archbold, William (1896). "Portman, William (d.1557)" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 46. London: Smith, Elder & Co . p. 199.
^ a b c d e f “ロンドンの一等地を握る英国貴族4つの名家 - 英国ニュース、求人、イベント、コラム、レストラン、ロンドン・イギリス情報誌 - 英国ニュースダイジェスト ”. www.news-digest.co.uk . 2020年5月22日 閲覧。
^ a b “The Portman Estate ”. www.portmanestate.co.uk . 2020年5月22日 閲覧。
^ "Sunday Times Rich List". The Sunday Times (page 27). 26 April 2014
^ “Extinct and Dormant English Baronetcies ”. www.cracroftspeerage.co.uk . 2020年5月22日 閲覧。
^ a b c d Seccombe, Thomas (1896). "Portman, William (1641%3F-1690)" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 46. London: Smith, Elder & Co . p. 200.
^ a b c d e f g h “Portman, Viscount (UK, 1873) ”. www.cracroftspeerage.co.uk . 2020年5月22日 閲覧。
^ a b Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc . Wellesley College Library. London, Dean. (1921). pp. 730-731. https://archive.org/details/debrettspeeraget00unse/page/730
^ “No.19460 ”. The Gazette 24 January 1837. 2020年5月23日 閲覧。
^ “No.23961 ”. The Gazette 25 March 1873. 2020年5月23日 閲覧。
^ The young elite 1-10
関連項目
外部リンク