Bobby Rydell 1960.
ボビー・ライデル (Bobby Rydell 、1942年 4月26日 - 2022年 4月5日 [ 1] )は、アメリカ合衆国 の歌手 。本名ロバート・ルイス・リダレリ (Robert Louis Ridarelli)。イタリア系アメリカ人 。
経歴
デビューまで
ボビー・ライデルはペンシルベニア州 フィラデルフィア の出身。ボビーをショウ・ビジネスの世界に送りこんだのは彼の父親であり、働いた給料でボビーにドラム・セット を送ったり、コンサートで一流の芸を鑑賞させた。ボビーはジーン・クルーパ などに関心を持ち、もの真似などの芸を磨いた。ポール・ホワイトマン のティーン向けタレント番組で認められ、1951年 から1954年 の間、出演し活躍した。父親はボビーのマネージャーも務めRCA 、キャピトル・レコード などに売り込んだがうまくいかなかった。Rocco & the Saints というグループはフランキ―・アヴァロン がリーダーであったが一時的にドラマー の代わりを務めたこともあった。1958年ヴェニス・レコード から"Fatty fatty"でデビューするが、成功を得られなかった。
ティーン・アイドル
フィラデルフィア を本拠地とするカメオ・レコード のカル・マンとバーニー・ロウがボビーの才能を認め契約にいたり、3枚目のシングル「キッシン・タイム」が全米11位を記録し一躍ティーン・アイドル として注目され、フィラデルフィアから中継されたディック・クラーク の「アメリカン・バンドスタンド」にレギュラーとして出演しフェビアン 、フランキー・アヴァロンとともに人気を高めた。次の「ウィ―・ゴット・ラブ 」は全米6位を記録。1960年代 に入るとヒットを連発しする。ロックン・ロールとは異なるアメリカン・ポップスの担い手としてボビー・ダーリン 、ボビー・ヴィ― 、ボビー・ヴィントン を合わせ4人ボビーとして活躍する一方、ナイト・クラブにも出演しヴォーカリスト としても注目を集めた。「ワイルド・ワン」は1960年 全米第2位を記録しゴールド・ディスク を獲得し人気を確立した。その後も「青春スウインギン・スクール 」「星空の花売り娘 」「フォーゲット・ヒム 」「愛なき世界 」などヒットを連発、1965年 までに33曲のチャート・ヒットを残した。「ヴォラーレ 」「スウェイ 」などはスタンダードとして今日でもよく聞かれている。[ 2] 。日本でもこの時期かなりの人気をえて1964年 には来日公演をおこなった。
移籍
1964年 にはキャピトル・レコード に移籍し期待されたが、「ダイアナ 」などがマイナー・ヒットを記録したもののビートルズ をはじめとするブリティッシュ・インベイジョン の始まりとともにチャート から遠のいていった。フランク・シナトラ に認められ1968年 リプリーズ・レコード に移籍するもヒットはだせなかった。その後もパーセプション・レコードなどからシングル・レコードを発売するがヒットは出せず、1976年 にはディスコ・ブームのなかピップ・レコードからリリースした。「スウェイ 」のディスコ・バージョンがイージー・リスニング・チャートで27位を記録したのが最後のヒット。その後はオールディーズのショウなどを中心活躍した。フランキ―・アヴァロン 、フェビアンと組んでのショウ「ゴールデン・ボーイズ・ツアー」も好評だった[ 3] 。
ヒット・レコード
キッシン・タイム(Kissin' time )全米11位(1960)
ウィー・ゴット・ラブ-(We got love )全米6位(1960)
Little bitty girl 全米19位(1960)
ワイルド・ワン(Wild one )全米2位(1960)
青春のスウィンギング・スクール(Swingin' school )全米5位(1960)
ヴォラーレ (Volare )全米4位(1960)
スウェイ (Sway )全米14位(1960)
グッド・タイム・ベイビー (Good time baby )全米11位(1961)
恋は魔術師(That old black magic )全米21位(1961)
星空の花売り娘 (Door to paradise )全米85位(1961)
ファンキー・ルックのお嬢さん (Gee it's wonderful )全米109位(1962)
I'll never dance again"全米14位(1962)
アイブ・ゴット・ボニー (I've got Bonnie )全米18位(1962)
Cha cha cha 全米10位(1962)
バタフライ・ベイビー (Butterfly baby )全米23位(1963)
燃えるバカンス (Wildwood days ) 全米17位(1963)
フォーゲット・ヒム (Forget him )全米4位(1964)
愛なき世界 (World without love )全米80位(1964)
ダイアナ (Diana )全米98位(1965)[ 4]
ジョーカー(The Joker )全米131位(1965)
主要なアルバム
We got love (1959年)
Bobby sings (1960年)
Bobby's biggest hits (1960年)
Bobby Rydell salutes the great ones (1961年)
Rydell at the Copa (1961年)
All the hits (1962年)
Bobby Rydell's biggest hits, volume 2 (1962年)
All the hits, volume 2 (1963年)
Bye bye Birdie (1963年)
Wildwood days (1963年)
Top hits of 1963 (1963年)
Forget him (1964年)
Somebody loves me (1965年)
[ 5]
出演
テレビ
The Ed Sullivan Show「エド・サリバン・ショウ 」(1960-1971)2回出演 (CBS)[ 6] 。
American bandstand (ABC) Host: Dick Clark(ディック・クラーク )
「コンバット」(1964)ゲスト出演
映画
Bye bye Birdie(バイ・バイ・バーディ)(1963年) 112分 共演:アン・マーグレット[ 7] 。
That lady from Peking(1975年)[ 8] 。
日本公演
脚注
^ “Bobby Rydell, 1960s pop idol and star of 'Bye Bye Birdie,' dies at 79 ” (英語). torontosun . 2022年4月6日 閲覧。
^ Billboard book of nuumber two singles, by Christopher G. Feldman, Billboard Books, c2000, p.47. ISBNː 0-8230-7695-4
^ Faber companion to 20th century popular music, by Phil Hardy & Dave Lang, Faber & Faber, c1990, p. 696, ISBNː 0-571-16865-5
^ Top Pop singles;1955-2012, by Joel Whitburn, Record Research, c2013, p. 733 , ISBNː 978-0-8982020-5-2-
^ Goldmine records & prices, ed. by Tim Neely, Krause Publications, c2002, p.476, ISBNː 0-87349-414-8
^ Really big show; a visual history of the Ed Sullivan Show, ed. by Claudia Falkenburg & Andrew Solt, Sarah Lazin Books, c1992. p.255, ISBNː 0-670-84246-X
^ バイ・バイ・バーディー allcinema
^ https://www.imdb.com/title/tt0181053/?ref_=nm_flmg_act_4
外部リンク