ボウィアヌムの戦い
ボウィアヌムの戦いは紀元前305年に発生した共和政ローマとサムニウムの戦いである。 戦闘二人のコンスル(執政官)、ティベリウス・ミヌキウス・アウグリヌスとルキウス・ポストミウス・メゲッルスが率いるローマ軍はサムニウム軍に決定的な勝利を収め、第二次サムニウム戦争は終了した。 その後ボウィアヌムの戦いでの敗北により、サムニウムは継戦意思を失い、ローマが提示した講和を受け入れるしかなくなった[2]。戦いに勝利したとみなされたローマは、紀元前314年から続いていた劣勢を挽回し、比較的寛大な条件での講和を要求することとなる。紀元前304年までに、ローマはサムニウム領土のかなりの部分を編入し、いくつかの殖民都市を建設した。当初敗北したとしても、戦略的反撃により領土を拡張するというパターンは、その後のローマの歴史において一般的なものとなっていく。 脚注参考資料
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