ホワット・ウィー・ディド・オン・アワ・ホリデイズ
『ホワット・ウィー・ディド・オン・アワ・ホリデイズ』 (What We Did On Our Holidays、米国では Fairport Convention としてリリース)は、イギリスのバンドフェアポート・コンヴェンションによる1969年のセカンド・アルバムである。シンガーソングライターのサンディ・デニーをフィーチャーした最初のアルバムとなる。このアルバムはまた「フォーザリンゲイ」やライブ・コンサートのラストに演奏されるようになった「ミート・オン・ザ・リッジ」などの後の定番人気曲が収められておおり、フォークロック・バンドとして注目されるきっかけとなった。 歴史ジュディ・ダイブルが脱退した後、バンドは新たな歌手のオーディションを実施し、サンディ・デニーが選ばれた。サイモン・ニコルは、「それは本当に一頭だけで行われる競馬みたいなものでした……彼女は汚れた皿でいっぱいの流し台のなかのキレイなガラスのように目立っていました」と語っている。文筆家ののリッチー・ウンターバーガーによればデニーの「心に長く残る、エーテルのようなボーカルがフェアポートに大きな後押しを与えた」という[1]。 ウンターバーガーによれば、このアルバムは、「伝統的なフォークソングを想像力豊かに作り直し、現代のフォークロック・シンガーソングライターの楽曲の質の高いカバー、よくわからないもの、そしてさまざまなメンバーによるオリジナルのフォークロック素材の理想に近いバランス」と解説されている。サイモン・ニコルはこのアルバムを彼のお気に入りであると2008年に評し、またコリン・ラーキンの「オールタイムトップ1000アルバム」(2000年)で281番に選ばれた。 アルバムジャケットとしては演奏中のバンドのスケッチが用いられている。クレジットには「フェアポート・コンヴェンションに襲撃された黒板より」と記されている。オリジナルジャケットの裏面は演奏中の写真が用いられている。 1990年にアイランド・マスターとして再リリースされたIMCD 97のジャケットにはサンディ・デニーのポートレイト写真も含まれている。 アメリカ合衆国ではA&Mレコードからリリースされた(SP-4185)。その際、曲目はイギリス版と同一だったが新しいカバーアートが用いられ、タイトルも『Fairport Convention』に変更されていた。 オーストラリアとニュージーランドではフェスティバル・レコードからリリースされたが、ジャケット表面は「黒板」デザイン、裏面はイギリス版ともアメリカ版とも異なるデザインとなっている。 このアルバムのジャケットデザインとしては少なくとも54種類のものがDiscogsのウェブサイトで紹介されている。 受容と影響
『ヴィレッジ・ヴォイス』誌のコンテンポラリー・レビューにおいて、アメリカの評論家ロバート・クリストガウは、フェアポート・コンヴェンションを彼がしばらく聴いた中で「最も興味深い未知のグループ」と見なし、「ペンタングル・スタイルのバラード」とボブ・ディランの「アイル・キープ・イット・ウィズ・マイン」にハイライトをあてた[3]。ライアン・アダムス・アンド・カージナルスのニール・カサルは後に、『ホワット・ウィー・ディド・オン・アワ・ホリデイズ』を彼のお気に入りのアルバムの1つとして挙げた[5]。 Pitchfork.comによる2008年再発盤アルバムのレビューでは、「このアルバムは、ここではほとんどラーガのようにレンダリングされた「ノータム・タウン」のような伝統的なバラードの新しい解釈と、ディランの「アイル・キープ・イット・ウィズ・マイン」やジョニ・ミッチェルの「イースタン・レイン」のどっしりとしたバージョンなどの新しい曲の混合です。ただし、ホリデイズの最高の楽曲は足を踏み鳴らすブルースロックの「ミスター・レイシー」、足早な「ノー・マンズ・ランド」、感動的な死後の賛歌の「ミート・オン・ザ・リッジ」などです」と述べている[6]。 1999年のアルバムこのアルバムのタイトルは、アイランド・レコードによる1999年リリースのCD IMCD 263に What We Did on Our Holidays - An Introduction to Fairport Convention として再利用された[7]。 トラックリスト
パーソネルフェアポート・コンヴェンション
アディショナル・パーソネル
脚注
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