ホップスコッチ/或るエリート・スパイの反乱
ホップスコッチ/或るエリート・スパイの反乱(あるエリート・スパイのはんらん、原題:Hopscotch)は、1980年に公開されたアメリカ合衆国のスパイ・コメディ映画。監督はロナルド・ニーム、主演はウォルター・マッソー。日本では劇場未公開で、東北新社/キングレコードからVHSが発売されたほか『ホップスコッチ・CIAを震撼させた男』という題でテレビ放送された[1]。 概要ブライアン・ガーフィールドが1975年に発表した同名の小説の映画化。ガーフィールドは映画化の為に6年の歳月をかけて26種類以上の草稿を書き上げている[2]。また、本作でマッソーがゴールデングローブ賞の主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)にノミネートされた。 タイトルの「ホップスコッチ」とは、いわゆるケンケンパのことである。 あらすじミュンヘンのオクトーバーフェストで、ベテランCIA捜査官マイルズはマイクロフィルムがKGBのヤスコフの手に渡るのを阻止し、工作員を次々と検挙していった。だが彼はヤスコフを逮捕しなかったことを理由に、上司のマイヤーソンからデスクワークへの配置換えを命令される。 マイルズはこの状況を受け入れず、行動を起こす。関係書類を全て破棄し、CIAを退職。かつての恋人イゾベルを訪ねるためにザルツブルクへ飛ぶ。事情を察したヤスコフはマイルズに会い、KGBへの亡命を誘うが拒否される。 「回顧録でも書くのか」と皮肉るヤスコフの言葉を聞いたマイルズは、CIAやスパイ業界の内幕を赤裸々に暴露する小説の執筆を開始し、最初の章の内容を各国の諜報機関に送り付ける。マイルズの小説の執筆を知ったCIAは、彼を止めようと動き出すのだった。 キャスト※括弧内は日本語吹替
製作構想この映画は当初、小説のようなスリラー作品になる予定で、ウォーレン・ビーティとジェーン・フォンダが出演することになっていた。しかし、ビーティがワーナー・ブラザーズと対立したために頓挫した[2]。 キャスティングホロコーストで多くの親族を失ったユダヤ人のマッソーは、当初ドイツでのロケを拒否していたが、ニームがマッソーの息子デヴィッドと継娘のルーシーを映画に出演させることで、マッソーが譲歩した[3]。 撮影「ホップスコッチ」の撮影は、イギリスのロンドン、フランスのマルセイユ、バミューダ、ワシントンD.C.、ジョージア州のサバンナ・アトランタ、当時の西ドイツのミュンヘンなど、ヨーロッパとアメリカの多くの場所で行われた。また、冒頭のオクトーバーフェストは演出ではなく、実際に開催されていた中で8台のカメラを隠して撮影を行った[3]。 演出マッソーには国務省から「本物のパスポート」が発行されており、彼が複数の国を行き来する際に使う偽名のパスポートが発行されている。パスポートはその機密性から、使用しないときは制作会社の金庫に保管され、撮影終了後、パスポートはワシントンD.C.の国務省に手渡しで返された[3]。 脚注
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