ホセ・マラベ
ホセ・フランシスコ・マラベ(José Francisco Malavé , 1971年5月31日 - )は、ベネズエラ出身の元プロ野球選手(外野手)。 経歴ベネズエラのウィンターリーグでキャリアをスタートし13シーズンを過ごす。1989年にボストン・レッドソックスと契約。1996年5月22日のシアトル・マリナーズ戦でメジャーデビューを果たし、2年間で通算45試合に出場し、打率.226、本塁打4本、打点17を記録した。 1996年から1997年のベネズエラのウィンターリーグでは、17打数4安打、4打点と貢献した。 1997年10月17日に横浜ベイスターズと年俸3,500万円(推定)で入団契約を結んだ[1]。1998年はキャンプから佐伯貴弘や中根仁、井上純と外野手のレギュラーの座を争い[2]、3月1日のオープン戦で左太ももを負傷したものの同月下旬に復帰した[3]。4月3日の阪神タイガースとの開幕戦には5番・右翼手として先発出場して4打数3安打3打点1本塁打、続く第2戦も4打数3安打3打点と2試合連続の猛打賞を記録してチームのスタートダッシュに貢献している[4]。しかしその後は外角の変化球に苦しんで37打数3安打と不振に陥り[5]、シーズン通算では2割台前半の低打率となって同年限りで戦力外通告を受けた。 横浜退団後の1999年はリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルと独立リーグでプレーし、2000年は韓国のヘテ・タイガースに入団。しかし、韓国入国の際に「身辺保護」を理由に拳銃を所持していたため金浦国際空港で逮捕された。さらに、怪我もあって1試合も出場することなくレギュラーシーズン開幕前に解雇された。以降は再び母国ベネズエラのリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルでプレー。2000年から2001年のシーズンはカリベスに移籍し、132打数46安打、打率.348、6本塁打、23打点と活躍し、カムバック賞を受賞した。2003年にはイタリアのリミニ・ベースボールクラブに所属。同年に引退した[6]。 2009年、ワールド・ベースボール・クラシックのベネズエラ代表チームの3塁コーチを務めた。2016年から2017年にかけて、ベネズエラのプロチームであるティブロネス・デ・ラグアイラの打撃コーチを務めた。 兄はベネズエラの元プロ野球選手であるオマール・マラベ。 詳細情報年度別打撃成績
記録
背番号
脚注関連項目外部リンク |