ペンシルバニア鉄道K4s形蒸気機関車
K4s形は、1914年から1928年まで生産された、ペンシルバニア鉄道(PRR)の旅客用蒸気機関車である。車軸配置は4-6-2のパシフィック。アルトゥーナの自社工場とボールドウィンにより、合計425両が製造された。 K4sを代替する目的でK5形やT1形が製造されたがどれも大きく成功せず、PRRの蒸気時代の終焉の1957年まで使用され、ディーゼル機関車が登場するまで旅客列車を牽引した。K4s形は充分強力ではなかったので時折重連や三重連で運転されたが、この方法は乗員が複数必要で経済性が悪かった。PRRは幹線の電化によって解決した。PRRは世界標準の鉄道として度々扱われ、K4s形もまた世界標準の機関車と目された。 開発K4sはPRRの動力車主任であるJ.T. Wallisの監修の元で開発された。主任機械技術者であるAlfred W. Gibbsと機械技術者Axel Vogtが補助した。 ボイラーは以前の機種よりも太くなり、火格子面積も増え55から70 ft2 (5.1から6.5 m2)になった。これにより蒸気発生量が大幅に増えた。最初の試作機は1914年に作られた。ねじ式の逆転機を備えていた。(後に動力式逆転機が加えられる)炭水車は当初小型の70-P-70で僅か7,000 米国液量ガロン (26 m3)の水と12.5トンの石炭を搭載し、手動給炭であった。カウキャッチャーは木製で旧式の前照灯だった。 K4sの設計は成功して他の機関車に影響を与えた。イギリスではロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道(LNER)のナイジェル・グレズリー技師がA1形のボイラーに同様の設計を取り入れた[1]。 生産5400 - 5474はボールドウィンで、生産他の全てはPRRのジュニアータ工場で生産。
改造20号機と5371号機にローラー軸受けが装着された。 1939年は5399号機に5436号機にも1940年にポペット弁が装着された。成績は良好だったが修繕が困難だった。 保存K4sは3750号がペンシルバニア鉄道博物館と1361号がスチームタウン国定史跡で復元されアルトゥーナの鉄道員記念博物館で運行されている。2008年現在、1361号機はスチームタウンの扇形庫の一角に保管されている。また、運転室部分がシカゴの科学産業博物館内交通ギャラリーに展示されている。 脚注
外部リンク
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