ペロゼス
ペロゼス(Perozes, ギリシア語: Περόζης, 中期ペルシア語: Pērōz)は、イベリア戦争におけるダラの戦い(530年)でベリサリウス率いる東ローマ帝国軍と対峙したサーサーン朝軍の軍司令官である。 東ローマ帝国の歴史家のプロコピオスによれば、彼は「ペルシア人であり、肩書はミラネス(つまりサーサーン朝がこの名称の官職に指名していることを意味する)で、名はペロゼスという」と説明している[1]。しかし、「ミラネス」(Μιρράνης)はおそらく官職名ではなく、サーサーン朝の七大貴族の一つであるミフラーン家のことを指している[2]。ダラの戦いに敗れた後、ペロゼスはサーサーン朝の王カワード1世によって面目を潰された。ペロゼスの人生については他に何も知られていない[2]。しかし、プロコピオスによれば、ペロゼスはアナスタシア戦争中にダラを包囲しようとした「ミラネス」と同一人物であった可能性がある[2][3]。 出典参考文献
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