デュシャンとベアトリス・ウッド
ベアトリス・ウッド (Beatrice Wood、1893年 3月3日 - 1998年 3月12日 )はアメリカ合衆国 の芸術家である。マルセル・デュシャン 、アンリ=ピエール・ロシェ らとダダイズム の雑誌『Blind Man』を創刊し「ダダイズム の母」と呼ばれた。『突然炎のごとく 』("Jules et Jim") のタイトルで映画化されたロシェの自伝的小説の奔放な女性、カトリーヌのモデルであったともされる女性の一人である。後半生は陶芸家として働いた。
略歴
サンフランシスコ の裕福な不動産業者の家庭に生まれた。1898年から家族とニューヨーク に住み、両親としばしばヨーロッパを訪れた。1912年からパリで、私立美術学校のアカデミー・ジュリアン に入学し、絵画を学び、コメディ・フランセーズ で演劇やダンスも学んだ。第一次世界大戦が始まったことによりアメリカに帰国することになる。短期間クロード・モネ の家のあるジヴェルニー でも暮らした。
第一次世界大戦のため、ニューヨークに戻ったウッドは、1916年にデュシャン、ロシェと知り合い[ 1] [ 2] 、1917年に、雑誌『Blind Man』を創刊した。1920年代は「ダダイズムの母」と呼ばれた。1917年にデュシャンに、勧められてニューヨークの独立芸術家協会 (Society of Independent Artists)の展覧会に2点の絵画を出展した。
1918年にモントリオールで、劇場に出演した後、1928年までニューヨークで活動し、その後、カリフォルニアに移り、陶芸の世界に進んだ。
脚注
^ The Rogue a eu trois livraisons, parues entre mars 1915 et fin 1916 à New York : cf. Index of Modernist Magazines , en ligne.
^ M. Dachy, op. cit, p. 562.
参考文献
Marc Dachy Dada & les dadaïsmes, Gallimard, Paris, 1994. Réédition en Folio essais en 2011 (ISBN 978-2-07-043933-1 ).
Laurent Le Bon (sous la direction de) Dada, catalogue d'exposition, Centre Pompidou, 2005, p. 976.
外部リンク
Beatrice Wood papers, 1894-1998, bulk 1930-1990. Archives of American Art, Smithsonian Institution
Beatrice Wood Center for the Arts
Archives at New Mexico Museum of Art
Oral history interview with Beatrice Wood, 1976 Aug. 26 , Archives of American Art, Smithsonian Institution
Biography , Philadelphia Museum of Art]
Beatrice Wood Obit , National Public Radio
American Museum of Ceramic Art , Beatrice Wood ceramics, Permanent Collection
MacNeill, Bonnie. "Mama of Dada Beatrice Wood dies at 105," The Ojai Valley News. (Issue 44, Friday, March 13, 1998, p. A-1).
Edward Weston, R. M. Schindler, Anna Zacsek, Lloyd Wright, Lawrence Tibbett, Reginald Pole, Beatrice Wood and Their Dramatic Circles for much on Wood's early relationships with Walter and Louise Arensberg, Reginald Pole, and Lloyd Wright and their dramatic circles.