ベアトリス・イエロニム・ド・ロレーヌ
ベアトリス・イエロニム・ド・ロレーヌ(Béatrice-Hiéronyme de Lorraine, 1662年7月1日 - 1738年2月9日)は、ブルボン朝時代フランスの貴族女性。ルミルモン女子修道院院長。宮廷での通称はリルボンヌ姫(Mademoiselle de Lillebonne)。 生涯リルボンヌ公フランソワ・マリーと、ロレーヌ公シャルル4世の娘アンヌ(1639年 - 1720年)の間の第2子・長女。ルイ14世王の長男グラン・ドーファンの宮廷に仕え、妹エリザベートと共にドーファンの異母妹ナント姫の友人となった。また、伯父ヴォーデモン公や親類のヴァンドーム公とも親しかった[1]。サン=シモン公爵によれば、彼女は父の従弟シュヴァリエ・ド・ロレーヌと内縁関係にあったとされる。 1686年モデナ公フランチェスコ2世から求婚されたが、縁談を後押ししていたルイ14世王の気が変わってしまったため、破談となった[2]。その後も独身を通し、1705年ルミルモン帝国修道院の補佐修道院長となり、1711年正式に修道院長に就任した。 引用・脚注
参考文献
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