ヘンリー・ペラム=クリントン (第2代ニューカッスル公)第2代ニューカッスル=アンダー=ライン公爵ヘンリー・ファインズ・ペラム=クリントン(英語: Henry Fiennes Pelham-Clinton, 2nd Duke of Newcastle-under-Lyne, KG, PC、1720年4月16日 - 1794年2月22日)は、イギリスの貴族。 経歴第7代リンカーン伯爵ヘンリー・クリントンの次男として生まれる。母はその妻ルーシー(初代ペラム男爵トマス・ペラムの娘)[1]。 父は1728年に死去し、兄ジョージが幼くして第8代リンカーン伯爵位を継承したが、この兄は1730年4月30日に夭折した。そのため彼が幼くして第9代リンカーン伯爵位を継承することになった。イートン校を経てケンブリッジ大学クレア・ホール (現在のクレア・カレッジ)へ進学した[2]。 1742年から1757年にかけてケンブリッジシャー知事を務める。1743年から1760年にかけてはジョージ2世の寝室侍従長を務める。1744年には王室宝石管理長官、1746年から1754年にかけては王室会計長官を務める。1751年から1794年まで国庫監査長官、1768年から1794年までノッティンガムシャー知事を務めた[2]。 母方の伯父である初代ニューカッスル=アポン=タイン公爵トマス・ペラム=ホールズ(首相)には男子がなく、もう一人の叔父ヘンリー・ペラム(首相)も女子が2人あるだけだった。そのためペラム家の所領と財産はヘンリーの娘キャサリンと結婚すること、ペラム姓を加えることを条件としてリンカーン伯が相続することになった。リンカーン伯爵家は土地をほとんど所有していない状態に陥っていたので、これは彼にとって天恵だったという(ただペラム家の財産もかなり減少していた)[3]。1756年11月17日には特別継承権でリンカーン伯に継承可能なニューカッスル=アンダー=ライン公爵位(グレートブリテン貴族爵位)がトマス・ペラム=ホールズに与えられている[4]。 1768年11月17日に伯父ニューカッスル公が死去し、ペラム家の所領とニューカッスル=アンダー=ライン公爵が彼に継承された[3]。同年12月1日に勅許を得てペラム姓を加えて「ペラム=クリントン」に改姓した[2]。 1794年2月22日に73歳で死去した[2]。 栄典爵位勲章家族1744年に首相を務めた叔父ヘンリー・ペラムの娘キャサリンと結婚し、彼女との間に4人の男子を儲けた。しかしそのうち3人は若くして死に、彼が死去した際に生き残っていたのは四男のトマス・ペラム=クリントンだけだった。爵位も彼が継承した[2]。
出典
参考文献
外部リンク
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