プロジェクト:チベット語・モンゴル語の用語表記ウィキプロジェクト チベット語・モンゴル語の用語表記について以下は、Dalaibaaturによるたたき台の草案として提示します。 プロジェクトの参加者の皆様による増補改訂のご提案を大歓迎いたします。--Dalaibaatur 2011年8月4日 (木) 17:38 (UTC) 経緯このプロジェクトは
などについて、どのような原則に物づいて行うべきかについて議論することと、現に行われている様々な表記のうち、チベット学・モンゴル学の専門家による表記、学校教科書やマスメディアにおいて現に広く使用されている表記(あるいはかつて広く使用されていた表記)をあつめ、記事執筆者の参考に供することを目的とします。 チベット語・モンゴル語の用語表記問題の背景国境をこえて交流するチベット人とモンゴル人、チベット語とモンゴル語モンゴルでは、16世紀第4四半期にチベット仏教を受け入れて以降、チベット語の仏教用語によって命名する習慣が急速に普及していきました。またチベットでも16世紀初頭よりモンゴル系諸集団の侵入や移住・定着が継続的に行われ、とくにホショト部の首長グシハンによるチベットの征服(1637−42)やダライラマ政権の樹立(1642)以降、モンゴル語の称号や官職名がはばひろく用いられるようになっていきました。 チベット社会に受け入れられたモンゴル語の称号や官職名がチベット語文献に出現する場合、あるいはモンゴル文献中に出現するチベット語の人名は、もともとのモンゴル語やチベット語の発音とくらべると、かなりなまったものとなります。 たとえば大関日馬富士関の本名「Даваанямын Бямбадорж ,Davaanyamyin Byambadorj(ダワーニャミン・ビャンバドルジ) 」は家族名(父称)、個人名とも属格助詞を除く全単語がチベット語からなっています。元々のチベット文字の綴りと、チベットからの直接のカナ転写は次のようになります。
チベット語とモンゴル語をカナ転写する場合の問題と困難中央ユーラシア史研究における「チベット語・モンゴル語の用語表記問題」としては、まず第一に、
という問題があります。 第二にモンゴルに所属する人名や官職、称号などは、チベット語由来のものでも、チベット語から直接ではなく、モンゴルなまりに基づいてカナ転写すべきではないか、チベットに所属する称号や官職、部族名などは、モンゴル語由来のものであっても、モンゴル語から直接ではなく、チベットなまりにもとづいてカナ転写すべきではないか、という問題があります。 (以下、ウィキペディア執筆にあたっての困難性を指摘したり、議論すべき問題点を提示する文章を準備中Dalaibaatur 2011年8月4日 (木) 21:53 (UTC)) プロジェクト名チベット語・モンゴル語の用語表記' 関連プロジェクトウィキプロジェクトには2011年8月現在歴史学に関係するものとして、プロジェクト:歴史およびプロジェクト:東ローマ帝国史の用語表記、プロジェクト:軍事史などがありますが、本プロジェクトは中央ユーラシア史における特殊具体的な問題を扱ったものであり、上記のプロジェクトとの関連性は2011年8月現在はありません。 上位プロジェクト上位プロジェクトは今のところありません。 下位プロジェクト下位プロジェクトは今のところありません。 類似のウィキプロジェクト参加者提案内容(準備中。Dalaibaatur 2011年8月4日 (木) 17:38 (UTC)) 一般的な戦略と議論の場本プロジェクトの議論についてプロジェクト内容に関する議論は当記事のノートにお願いいたします。 本プロジェクトを認知してもらうために本プロジェクトの推奨する用語対照表一般的な用語についてはこちらの対照表を参考にしてください
人名(現時点では以下は対照表の書式のためのサンプルです--2011年8月4日 (木) 21:53 (UTC))
部族・氏族・家族名※チベット語の部族・氏族・家族名
※モンゴル語の部族・氏族・家族名
官職・称号など※チベット語の官職・称号など
※モンゴル語の官職・称号など
典拠・注釈参考文献
関連項目 |