プレトリア・キャッスル (護衛空母)
プレトリア・キャッスル (HMS Pretoria Castle, F61) は、イギリス海軍の護衛空母。 艦歴「プレトリア・キャッスル」はユニオン=キャッスル・ラインのオーシャン・ライナーとして、ベルファストのハーランド・アンド・ウルフ社で1938年に進水、1939年に竣工し、アフリカ一周航路に就航した。 1939年10月に海軍によって取得され、6インチ砲および3インチ砲を装備した武装商船に改装。同年11月28日に就役した[1]。プレトリア・キャッスルは武装商船としてフリータウンを拠点に船団護衛に従事した[1]。 1941年6月17日、「プレトリア・キャッスル」はヴィシーフランス船「Desirade」を拿捕した[2]。8月15日、「プレトリア・キャッスル」と軽巡洋艦「デスパッチ」は「Nordeney」を捕捉[3]。この船は自沈した[3]。 1942年7月16日に海軍により完全に購入され[1]、「プレトリア・キャッスル」はタインアンドウィアのスワン・ハンター造船所で護衛空母に改装された。1943年7月29日に空母として就役、8月9日に改装は完了した[1]。「プレトリア・キャッスル」は試験用空母としてウェスタンアプローチ管区に配属された[1]。1943年10月にはDS46船団の護衛に参加している[1]。 1945年、エリック「ウィンクル」・ブラウン大尉の操縦するベル エアラコブラ Mk1、機体番号AH574が着艦し、「プレトリア・キャッスル」は航空史の一部となった。これは前輪式降着装置装備機による空母への初の着艦であった。 戦後、「プレトリア・キャッスル」は1946年にユニオン=キャッスル・ラインに売却され客船に改装、「ウォリック・キャッスル (Warwick Castle)」と改名され、イギリス - 南アフリカ間を運行した。「ウォリック・キャッスル」は1962年にバルセロナで売却され、スクラップとして廃棄された。 脚注参考文献
参考図書
関連項目外部リンク |