プチャタ・ヴィシャティチプチャタ・ヴィシャティチ(ロシア語: Путята Вышатич)は12世紀初頭のルーシのヴォエヴォダ(軍司令官)、トィシャツキー(千人長)である。ヴィシャタの子、ヤンの兄弟。 1099年、キエフ大公スヴャトポルクの命によって、プチャタとルーツク公スヴャトスラフ(ru)は、ウラジーミル・ヴォルィンスキーを囲むダヴィドの軍を攻撃・撃破した(ルーシ内戦 (1097年 - 1100年))。またこの翌年には、これら一連の戦争の戦後処理会議であるウヴェティチ諸公会議(ru)でのスヴャトポルクの意見を、ダヴィドに通知する役を担った。 1104年、ミンスク公グレプとの戦争において、スヴャトポルクの軍を指揮した。戦争自体はスヴャトポルク・グレプ双方に益するところなく終結した。1106年には兄弟のヤンと共にポロヴェツ族への遠征を行い、ザレチスク周辺を征圧した。 1113年にスヴャトポルクが死ぬとキエフで暴動が起こり、キエフの人々はプチャタの屋敷を破壊した。プチャタの没年は不明である。 参考文献
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