ブリーフカラテ
『ブリーフカラテ』または『Brief Karate Foolish』は、2003年に同人サークルDREAM CREATION SYSTEM (D.C.S.) が発売した対戦型格闘ゲーム。 ブリーフ姿の男性同士が戦う対戦格闘ゲームである本作は、ビキニ姿の女性同士が戦う内容の実写取り込み格闘ゲーム『ビキニカラテ』からヒントを得て開発された[1]。同時に、本作には、コンボやゲージを消費しての超必殺技などの、当時一般的な対戦格闘ゲームで見られたシステムはほぼ搭載されている[1]。 ストーリー10年に一度の格闘大会の覇者のみが手にできる、手に入れれば世界の支配者になるといわれている伝説の「ブラック・ブリーフ」を求め、世界中から集まった「ブリーフファイターズ」たちが戦いを繰り広げる[2][3]。 ゲーム内容ゲーム自体は一般的なな2D格闘とほぼ同じで、前後移動にジャンプとしゃがみ、攻撃は弱・中・強とSPの4つがある[3]。画面下部にロウソク状のゲージが増えていき、それを消費して超必殺技が放てる[3]。また、各キャラクターのコマンドはほぼ共通のものが使われている[3]。 本作においては、一人用の「1P」モードと、二人用の「対戦」モードがある。このうち、「1P」モードでは、対戦前にナレーション付きで相手の簡単な紹介が入る。また、対戦後には勝利メッセージは、キャラクター毎に異なるものが用意されている。 ブリーフファイターズ
制作本項では、開発スタッフの名称は基本的に役名で記載する。 背景開発スタッフの内、五間誰と苦羅那怒は幼なじみ同士であり、玉出は苦羅那怒が草の根BBSの掲示板で知り合った人物である[1]。本作の開発チームは、草の根BBSを通じて親交を深めており、同BBSを通じて広まった『SF エクシヴィ[注 1]』などにも親しんでいた[1]。 玉出の一軒家ではオフ会が行われたが、楽しかったので会社を休んだり、そのまま会場に帰ってくるなどする者がおり、常に40人ほどが家に寝泊まりしていた[1]。しかもほとんどは本名も知らない者同士だった[1]。もはやオフ会とは言えない状況だったが、その時代ならではの、入口が狭いところで知り合った独特の信頼感があり、そういう環境だったからこそ、本作のようなゲームも作りやすかったという[1]。 作品の着想本作の発案者は苦羅那怒であり、当時流行していた『ビキニカラテ』のような作品を作ろうというところから本作の開発が始まった[1]。 当時の対戦格闘ゲームにおいては登場人物の露出度が高くなる傾向があったため、開発者はキャラクターの衣装をブリーフ一丁にすることにした[6]。 撮影撮影は2月に行われ、初日に弐忍賀死丸と玉の輝を撮影し、次の日に他のキャラクターをすべて撮影した[1]。演者たちにはとりあえず「実写格ゲーを作る」と言って呼び出し、現場でブリーフ一枚になってもらった上で撮影が行われた[1]。玉出が元々コスプレイヤーとして活動していたことに加え、本作の開発チームは過去に『過労伝説 本番』という格闘ゲームで実写取り込みを導入していたことから、顔をさらすことに抵抗を示す演者はいなかった[1]。玉出は初めてコスプレしたキャラクターが『餓狼伝説』のテリー・ボガードだったことにちなみ、小道具としてネオジオの野球帽が使われた[1]。さらに、彼のステージには、名前の由来となった実在のスーパーマーケット・スーパー玉出の画像が使われた[3]。苦羅那怒は、2001年にKeyから情報が発表された『CLANNAD』に因んで作られた経緯があり[1]、ステージとしてKeyの『Kanon』ゆかりの地である守口市駅の画像が使われたほか、ステージBGMとして同社の『AIR』の主題歌『鳥の詩』のアレンジ版が使われた[3]。ネコミミはオフ会を開くとして四国から呼び出された経緯があり、当初は渋々撮影に参加していたが、やがてダンボールで猫耳と尻尾を造り、最終的に「言ってくれたらちゃんと用意してたのに」と言っていたという[1]。演者の内、五間誰とB.ゾロはドミノマスクをしているが、これは開発当時、彼らが風俗雑誌を研究する中で、どのように顔を隠せば身元がわかりにくくなるのかということについて議論していたことに由来する[1]。また、ゾロの演者の小道具の内、ブリーフ以外はすべて本人が用意した[1]。 ゲーム上必須とされる動作は開発チームから指定された一方、技名や動きは演者本人に委ねられた[1]。楽しければ良いと言うことでいかなる技も実装するという方針がとられたが、技の重複を避けるため、明らかに波動拳や昇龍拳とわかる技は入れないというルールが定められた[1]。また、部分的に無敵になる技はあるが、全身無敵の技は作られなかった[1]。演者の趣味はそれぞれ違うため、結果としてキャラに個性が出た[1]。 ゲームの作成見ていて面白いものを作るという目的で開発された本作は、すべてのキャラクターの強攻撃が強く設定されており、コンボを決めれば早く決着がつくが、適当に強攻撃を振り回すだけでもラスボスまで進めるよう調整された[1]。また、敵AIも、最初の2、3人目まではほとんど何もしないように作られた[1]。 また、苦羅那怒は、『ビキニカラテ』において、キャラクターの動きに中割がないために動きがもっさりしている点についてよくないと考えており、動きにこだわった[1]。『過労伝説 本番』の経験から、開発チームは本作も撮影したらすぐにできると思っていたが、実際はそれ以上の苦労が伴った[1]。苦羅那怒は画像の切り取り作業が精神的にきついと感じ、心が折れぬよう一気に行った[1]。また、全部のモーションを使うともっさりしてしまうので、通常は中の絵を省略するが、プレイヤーが一番よく目にする立ち絵については、一枚も中折りせず全部使われた[1]。 かかった金はせいぜい撮影代と打ち上げ代ぐらいで、制作費は10万円以下という[1]。 Steamでの配信10年以上立った後、同人ゲーム専用のパブリッシャーの立ち上げを考えていたHenteko Doujinのぱぃろは、偶然本作を発見し、「まず世界に挑戦するのはこれだな」と考え、代表の苦羅那怒にリリースの承諾を取りに行った[1]。開発チームはSteamも知らず、すでにイベントで無料で配布していた状況だったため、よくわからぬまま快諾した[1]。 開発チームは「楽しければいいじゃん」という感じで、儲けたくないわけではないがその天井が低く、コミケに行っても交通費が出れば問題無しで、打ち上げができれば大勝利という感覚だった[1]。一方好きで作っているという思いもあり、頑張って作ったものを最初からタダで配ってもいいと思っていたわけでもなかった[1]。 Steamでの配信にあたり、苦羅那怒のステージのBGMに『鳥の詩』が使われていたことが懸念されていたが、Keyを傘下に置くビジュアルアーツの二次創作ガイドラインに「耳コピは大丈夫」とあったため、そのまま使われた[1]。一方、苦羅那怒のガンプラや玉出の帽子といった小道具の一部にはモザイク処理が施された[1]。 続編の構想続編も作りかけており、コンテだけは切っていた。その内容は「肩からマントだけかけたブリーフ一丁の人が、ボディーガードを連れて廃ビルに入ってアタッシュケースを開けると、黒いブリーフが入っている」というものだった[1]。システム的にはキャラクターの追加などは可能なのだが、結局は金や時間よりも気力ややる気の問題で、逆に「気力さえあれば金なんか無くてもできる」という[1]。オンライン対戦や続編の要望はあるようだが、「出ていた人がたまたま集まって焼肉を食べて酒飲んでいたら、テンションが上がって『よしやろか!』みたいなノリになれば、あるかもしれない」といい、結局自分たちが何かするのはそんな感じなのだという[1]。 反響本作の情報公開日は2003年4月1日だったため、最初の一週間はエイプリルフールだと思われていたが、発表の10日後に玉出だけを収録したデモ版を公開したところ、単なるエイプリールフールの冗談で無いことがわかり、一部で盛り上がりをみせた[1]。 また、同時代の対戦格闘ゲームと比べても、技の出しやすさや爽快感、細かい駆け引きが可能な点などといった、完成度の高さが評価され、人気を集めた[1][3]。IGNの藤田祥平は、本作のくだらなさや、個性的なキャラクター、さらには格闘ゲームとしての完成度の高さを評価した[3]。 発売から10年以上後の2016年に配信されたSteam版は16万以上のダウンロードを達成したほか、世界大会も開かれた[1]。 脚注注釈
出典
関連項目
外部リンク
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