ブランコ・ブルノヴィッチ(キリル文字 : Бранко Брновић、Branko Brnović、1967年8月8日 - )は、モンテネグロ(旧ユーゴスラビア)・ティトグラード出身の元ユーゴスラビア代表サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダーだった。2018年から2019年まで母国ブドゥチノストで監督を務めていた。
クラブ経歴
1987年、地元クラブのFKブドゥチノスト・ポドゴリツァにてプロデビューを果たすと、すぐにレギュラーに定着し、1991年に国内強豪のパルチザン・ベオグラードに移籍した。パルチザンでも主力として活躍し、1度のリーグ制覇と2度のカップ制覇に大きく貢献した。1992-93シーズンにはキャリアハイとなるリーグ戦6ゴールを挙げている。
1994年、初の海外挑戦の舞台としてスペインのRCDエスパニョールを選んだ。エスパニョールでのファーストシーズン、チームはコパ・デル・レイを制したが、ブルノヴィッチ自身はリーグ戦出場1試合に終わり、苦しいシーズンとなった。しかし、3シーズン目からスタメンの座を勝ち取り、27試合に出場。1998-99シーズンにはリーグ戦40試合全てでスタメンフル出場を果たした。2000年、現役を引退した。
一度は現役を引退ものの、2006年に1シーズン限りの契約で母国FKコム・ポドゴリツァのプレーヤーとして現役復帰を決めた。
代表経歴
ユーゴスラビア代表として27試合に出場し、3ゴールを記録した。代表初出場は1989年9月20日のギリシャ戦で、これ以降定期的に代表に選ばれるようになった。UEFA EURO '92予選にもレギュラーとして出場し、予選突破を決めたが、ユーゴスラビア紛争により参加を辞退したことでブルノヴィッチは自身初のメジャー大会参加が叶わなかった。
1998年、1998 FIFAワールドカップを戦うユーゴスラビア代表に選出された。大会ではベスト16を除く3試合に出場し、そのベスト16でユーゴスラビアはオランダに敗北。大会を後にした。
2007年3月5日、モンテネグロ代表のアシスタントコーチに就いた。2011年9月8日、モンテネグロ代表の監督を務めていたズラトコ・クラニチャールが解任されると、ブルノヴィッチが同代表の監督に就任した。ブルノヴィッチはモンテネグロをEURO 2012プレーオフに導いたが、チェコ代表に2試合合計3-0で敗れ、本大会出場を逃した。
監督成績
- 2015年10月12日現在
チーム
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国
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就任
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退任
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記録
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試
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勝
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分
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負
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勝率
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モンテネグロ代表
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モンテネグロ
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2011年9月8日
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2015年12月17日
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7001330000000000000♠33
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7001110000000000000♠11
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7001100000000000000♠10
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7001120000000000000♠12
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07001333300000000000♠33.33
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外部リンク