フロイド・メイウェザー・シニア
フロイド・メイウェザー・シニア(Floyd Mayweather, Sr、1952年10月19日 - )は、アメリカ合衆国ミシシッピー州出身の元プロボクサー、現トレーナー。本名はフロイド・ジョイ・メイウェザー(Floyd Joy Mayweather)。世界5階級制覇王者フロイド・メイウェザー・ジュニアは息子。世界2階級制覇王者ロジャー・メイウェザー(次兄)とジェフ・メイウェザー(末弟)は弟。 概要プロボクサーとしては大成しなかったが、ボクシング史上に残る名ボクシング トレーナーとして知られる。難病の肺サルコイドーシスを患っている。ジュニアが1歳の時に、自身は義理の兄弟からショットガンで足を撃たれているが、この時自身が撃たれないようにするため、ジュニアを盾代わりに使ったとされている[1]。父親としては非道な行いだがジュニアは怨んでおらず、自分を指導した父を尊敬している[2]。 来歴ボクサー時代1985年4月26日、USBA全米ウェルター級王座に挑戦するも、0-3の判定負けで王座獲得に失敗した。デビュー35戦目で初のタイトルマッチ出場となった。 世界ランカーであった時期に、当時米国ボクシング界のホープで、後の5階級制覇王者シュガー・レイ・レナードと対戦したことがある。試合は10回にレナードの高速連打を浴びTKO負け。 トレーナー時代ボクシングトレーナーとして、幼少期を中心に息子であるフロイド・メイウェザー・ジュニア、オスカー・デ・ラ・ホーヤ(2001年 - 2006年)、チャド・ドーソン、リッキー・ハットン(ポール・マリナッジ戦とマニー・パッキャオ戦)、ホアン・グズマン、レイラ・アリ、ジョゼフ・アグベコなどを指導した。2007年にデ・ラ・ホーヤがメイウェザー・ジュニアと対戦する時、シニアは普段25万ドルでデ・ラ・ホーヤのトレーナーに就いていたが、この試合に限っては異例の高額条件となる200万ドルをデ・ラ・ホーヤに提示する、しかし、デ・ラ・ホーヤは支払いを断り、代わりにフレディ・ローチをトレーナーに雇った[3]。 息子であるフロイド・メイウェザー・ジュニアが幼少の頃にボクシングを教える。1993年、メイウェザー・ジュニアが16歳の時にシニアはコカイン密売で有罪判決を受け、5年半刑務所で服役した。1998年に出所後、メイウェザー・ジュニアのトレーナーとマネージャーに復帰するが、2年ほど経つと喧嘩別れをしてしまい、居候していた家を追い出され、使用を許可されていた車も取り上げられた[1]。幼少期とこの2年間を除き、メイウェザー・ジュニアのトレーナーには弟のロジャー・メイウェザーが就いていた。 2009年、ロジャー・メイウェザーが家庭内暴力の罪で、刑務所に6ヶ月間服役する。この時、シニアとジュニアとの関係が一時的に修復するが、ロジャーが出所後ジムへ戻ってくると、今度はロジャーとの兄弟喧嘩が勃発。ジュニアがロジャーを選んだことで、再びシニアは疎遠となった。 2013年、メイウェザー・ジュニアのトレーナーを長年務めてきたロジャー・メイウェザーが体調を崩し、シニアとメイウェザー・ジュニアとの緊張関係も和らいできたこともあり、メイウェザー・ジュニアのチーフトレーナーを2013年9月のサウル・アルバレス戦から引退まで務めた。 2024年3月、認知症を患っていることが息子のメイウェザー・ジュニアにより明かされた[4]。 関連項目脚注
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