第2代リポン侯爵フレデリック・オリヴァー・ロビンソン(英: Frederick Oliver Robinson, 2nd Marquess of Ripon, GCVO、1852年1月29日 - 1923年9月23日)は、イギリスの貴族、政治家。
1859年から1871年までゴドリッチ子爵(Viscount Goderich)、1871年から1909年までド・グレイ伯爵(Earl de Grey)の儀礼称号で称された。首相を務めた初代ゴドリッチ子爵フレデリック・ロビンソンは祖父、インド総督を務めた初代リポン侯爵ジョージ・ロビンソンは父である。
経歴
1852年1月29日、政治家のゴドリッチ子爵(儀礼称号)ジョージ・ロビンソン(後に初代リポン侯爵に叙される)とその妻ヘンリエッタの間の唯一の男子として生まれる[1]。
イートン校を卒業し[2]、1874年から1880年にかけてリポン選挙区(英語版)から選出されて自由党所属の庶民院議員を務めた[3]。
彼は英国王エドワード7世の親友の一人であり[4]、1901年から1923年までその王妃であるアレクサンドラの会計係を務めた[3]。
1909年7月9日に父が死去して第2代リポン侯爵位を継承し、貴族院議員に列した[5]
1923年9月22日に死去。初代リーのハーバート男爵(英語版)シドニー・ハーバートの娘コンスタンスと結婚していたが、子供はなく、すべての保有爵位が彼の死とともに廃絶した[6][3]。
栄典
爵位
勲章
出典
- ^ Lundy, Darryl. “George Frederick Samuel Robinson, 1st Marquess of Ripon” (英語). thepeerage.com. 2015年9月26日閲覧。
- ^ White, Geoffrey H., ed (1949). The Complete Peerage, Volume XI. St Catherine's Press. p. 5
- ^ a b c Heraldic Media Limited. “Ripon, Marquess of (1871 - 1923)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年9月26日閲覧。
- ^ White, Geoffrey H., ed (1949). The Complete Peerage, Volume XI. St Catherine's Press. p. 6
- ^ UK Parliament. “Earl De Grey” (英語). HANSARD 1803–2005. 2015年9月26日閲覧。
- ^ a b Lundy, Darryl. “Frederick Oliver Robinson, 2nd Marquess of Ripon” (英語). thepeerage.com. 2015年9月26日閲覧。
- ^ "No. 27390". The London Gazette (英語). 24 December 1901. p. 9061.
- ^ "No. 28316". The London Gazette (英語). 10 December 1909. p. 9413.
外部リンク