フレデリック・モーリス(2世)・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ(Frédéric-Maurice (II) de La Tour d'Auvergne, 1642年1月15日 - 1707年11月23日)は、ブルボン朝時代フランスの貴族・軍人。オリエルグ(英語版)伯及びランケ(英語版)侯爵だが、宮廷儀礼上はオーヴェルニュ伯を名乗った。最終階級は陸軍中将。
ブイヨン公フレデリック・モーリスとその妻エレオノール・ファン・デン・ベルフ(フランス語版)の間の次男[1][2]。1662年5月1日、母の従妹のベルヘン・オプ・ゾーム辺境女伯マリア・エリーザベト・ファン・デン・ベルフと、その夫のホーエンツォレルン=ヘヒンゲン侯アイテル・フリードリヒ2世の間の一人娘フランツィスカと結婚、1698年に死別するまでに、間に13人の子をもうけた[1][2]。
- 息子(1663年 - 1664年)
- フレデリック・ゴドフロワ(1664年 - 1672年頃)
- エリザベート・エレオノール(1665年 - 1746年) - トリニー=シュル=ヴィル女子修道院長
- ルイーズ・エミリー(1667年 - 1737年) - モンマルトル女子修道院長
- マリー・アンヌ(1669年 - 1763年) - 修道女
- エマニュエル・モーリス(1670年 - 1702年) - 聖ヨハネ騎士団員(聖職)
- アンリ・オズワール(フランス語版)(1671年 - 1747年) - トゥール大司教、ヴィエンヌ大司教、枢機卿
- フランソワ(1672年 - ?) - 夭折、ヴィムーユ公
- アンリエット(1673年 - ?) - 夭折
- ルイ・フレデリック(1674年 - ?) - 夭折
- フランソワ・エゴン(1675年 - 1710年) - オーヴェルニュ公及びベルヘン・オプ・ゾーム辺境伯(侯爵)、1707年アーレンベルク公女マリー・アンヌと結婚
- フレデリック・コンスタンタン(1682年 - 1732年) - オリエルグ伯
- テレーズ・アンリエット(1683年 - ?) - 夭折
1699年4月2日エリーザベト・ファン・ワッセナール=ステレンブルフと再婚したが、1704年に死別している[1]。
引用・脚注