フランティシェク・プラーニチカ
フランティシェク・プラーニチカ(František Plánička、1904年6月2日 - 1996年7月20日)は、チェコ(旧チェコスロバキア)の元サッカー選手。ポジションはGK。 人物チェコスロバキア代表が1934年のFIFAワールドカップ・イタリア大会で準優勝した時の正ゴールキーパーにしてキャプテン。172cmとゴールキーパーとしては小柄な体躯[1]ながらボールへの鋭い反応と、勇敢なプレーで精神的な支柱となり、プラハの猫(英語:The Cat of Prague、ドイツ語:Katze von Prag)の愛称で呼ばれた。1938年のFIFAワールドカップ・フランス大会準々決勝、対ブラジル戦では、相手の悪質なプレーにより骨折をしたにも関わらずプレーを続けた[2]。 引退後にフェアープレー精神が称えられ、1985年にはユネスコ、1996年にはチェコのフェアープレー・アワードを受賞した。また1999年にIFFHSが選ぶ20世紀で最優秀チェコ人GKに選出された[3][4]。 経歴オーストリア・ハンガリー帝国(当時)のプラハ出身で、1926年にSKスラヴィア・プラハで選手キャリアをスタートすると一貫してスラヴィア・プラハでプレーを続けた。1925年にチェコスロバキアで初のプロリーグが創設されると優勝に貢献。リーグ戦では1929年から1931年の三連覇を含む8度の優勝(1925、1928-29、1929-30、1930-31、1932-33、1933-34、1934-35、1936-37)6度のボヘミアカップ優勝(1926年、1927年、1928年、1930年、1932年、1935年)。国際試合においても1932年のミトローパ・カップで初優勝に貢献するなど、クラブの歴史上において最も成功した時代の一つをもたらした。 チェコスロバキア代表としては、1926年1月17日のイタリア戦で代表デビュー(試合は1-3で敗退)。1934年のFIFAワールドカップ・イタリア大会準優勝、1938年のFIFAワールドカップ・フランス大会ベスト8進出に貢献するなど国際Aマッチ73試合に出場した。この記録は1966年にラディスラフ・ノヴァークによって塗り替えられるまで、チェコスロバキア歴代最多出場記録であった。 1996年7月20日、プラハで死去。92歳没。 個人タイトル
脚注
外部リンク
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